自分に関心を向けるほど自分を破滅に追い込む。世界に関心を向けねばならん。[424/1000]

腐りそうになりながら、なんとか腐らず生きている。否。腐りながら生きている。ほんとうは文章など書く気もないのだけれど、今書くことをやめては、あまりにも情けないだろうというプライドだけで、ぎりぎりのところで踏んばっている。一時のつまらない感情で、人生を台無しにするほど、自分に恨みがあるわけでもない。いつも破滅は、一時の感情によって生じてきた。一時のつまらない感情を、ほんの少しの意志力で踏ん張り、耐え破ることができなかったときに、ほんの少しの自暴自棄がはじまり、仕事を放り投げ、人間関係をぶち壊し、人生を破滅に追い込むのだ。

個人の感情は、関心を向ける対象としてはつまらないものであるが、いちばん近くにあって大きなものである。ゆえに、どうしても目についてしまう。ほんとうは、自己の外側の対象に関心を向けるのが、人間の理屈にあっているのだと思う。自身の感情に関心を向ければ体内でエネルギーが渋滞するが、外側に関心を向けば、エネルギーは世界に還元されていく。

この世界に関心を向け、何かに夢中になれるなら、感情から関心の焦点は外れ、心の窮屈さは次第に解けていく。感情にこだわるほどに、エネルギーが渋滞し、心は窮屈となる。この不毛な悪循環から抜け出すために、世界に関心を持たねばならない。

多趣味な人間に健全な人が多いように思うのは、これで説明がつく。オタクにも鬱になる人は少ない気がする。コーヒーの味を探求して、豆を挽くことに多種多様なこだわりをもってやっていれば、心のことなどどうでもよい。世界に関心をもつ対象がないから、暇を持て余して、心ばかりを見つめてしまうのである。

世界に関心をもたねばならない。なんだか書いていて、当たり前のことだなと思うのだけれど、世界に関心をもたなくても今日を生きていける世の中だから、関心をもつ力というものも衰えているのだろう。私には人間を探究することくらいしか、ほんとうに関心をもつことはできないから、誰か関心をもった偉人を徹底的に読み込んでみようか。

自分に関心など向けて、自分を破滅に追い込むほど、愚かなことはないぞ。世界に関心を向けよ。世界はまだまだ未知に溢れ、心を躍らせてくれるはずだ。

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