貴方が元気でいることが一番だよ。休むことも立派な社会貢献だ

おっはよう!

「今日も朝がやってきてしまったぞ。また1日を生きなければならんぞ~。」

美しい朝日を前にしても、そんなことを思っている私は傲慢だろうか。

 

「今日も気持ちよく朝を迎えられました!今日も生きてます!今日も健康で、ハイパー元気です!お天道様は今日も綺麗ですね!神様ありがとう!よし、今日も大切に生きるぞ!」

と毎日思えたら、人生はきっと素晴らしい波動に満ちていくに違いない。

 

だが私は今朝みたいに、「今日も生きなければならない」みたいな感覚になることも多い。その感覚を紐解いてみると、「授かったこの命を、燃やし尽くさなきゃいけない」みたいな使命感が根底にあることが分かった。

 

命を燃やし尽くさなきゃいけない、しかし私は今、猛烈に休みたい!熱々のコーヒーと、ヘーゼルナッツの入ったクッキーを1口かじりながら、海を眺めてボーっとしていたい。ああ、なんて香ばしく、ほどよい甘さなのだ!と小さく幸せに浸りたい!

そんな願望をよそに「今日も俺は命を燃やさなければならん!ぐぬぬ…」と思っているのだから、そりゃ悲痛な嘆きも生まれるのかもしれない。

 

不思議なことに、今日ヘーゼルナッツのクッキーを買いに行こうと決めると、「生きなければならんぞ~」が「生きてみるか!」に変わった。さらに、今日は身体を休めて、泳ぎたくなったら海に飛び込もう、と決めると「今日も生かさせていただきます!いえ!生かさせてください!ありがとうございます神様!」に変わった。

不思議なものだ。心がど真ん中で欲しているものに気づいて、それを実践すると決めたら、1日の心構えが「生きたいモード」になってしまった。

実際のところ、気づけた時点で心は半分は満足してしまっていて、仮にヘーゼルナッツのクッキーを買いに行かなくても、「生きたくないモード」に逆戻りすることはないだろう。

心は気づいてほしがっているだけで、気づいてほしいことに気づくだけでも、心の持ちようはがらんと変わる。

 

こうやって自分で設けた楽しみが格別なことは、経験上よく知っている。偶然スーパーで見かけたヘーゼルナッツのクッキーを買って食べるのと、あらかじめ計画してヘーゼルナッツのクッキーを買いに行って食べるのとでは、ヘーゼルナッツのクッキーの美味しさも、それによって得られる幸福感も格が違う!

1日よく働いて風呂上り飲むビールとか、登山の後に浸かる温泉とか、それに似てる。(私はお酒は飲めないけどね 泣)先日、友人と高尾山を登ったときも、焼肉を口に入れるあの一瞬は、興奮した。登頂中も下山中も、ずっとあの瞬間を待ち望んでいたから。

 

さあ「生きたくないモード」の人は、楽しみを見つけて、楽しみをつくろうではないか!そして待望の瞬間に、盛大に感動を共有しようぜ!

今こうしている瞬間、私は新潟の海で、ヘーゼルナッツのクッキーと美味しい珈琲をいただいているかもしれない。

最近、つくづく思う。愛が足りないんじゃない。勇気が足りないんじゃない。情熱が足りないんじゃない。能力が足りないんじゃない。本当に足りていないのは元気なんじゃないかと。傲慢になるときもそう。人間性が未熟だとか、真面目な人ほどつい自分に原因を探そうとするけど、単純に疲れてるだけだったりする。何もかも一元化するのは少し強引かもしれないけれど、世の中の足りていないものの多くは、元気で解決できちゃうことは多いと思う。

 

想像してみてほしい。家族も、友達も、恋人も、職場の人も、電車で通勤している人も、街にいる人も、そしてあなた自身も、ちゃんと休めていたら、どんな世界になりそうか。美しい景色にボロボロ涙を流して、心の真ん中にある気持ちに気づけていて、ハッハッハと楽しく笑えていたら、街の雰囲気はどうなりそうか。

きっと自然と笑顔がこぼれてて相手を思いやれるだろうし、遊ぶような軽いノリで色んなことに挑戦できちゃいそうだし、使命感を大切に働けそうだし、自分の得手不得手を受け入れて、できることに集中して生きていけそうじゃない?

 

そんな世界は夢物語かもしれないし、いつも元気でいなくちゃいけない、なんてこともないのだと思う。そんな縛りは逆に窮屈だからね。

僕が言いたいのは、愛が足りないだとか、勇気が足りないだとか、情熱が足りないだとか、才能が足りないだとか、人間性が未熟だとか、自分を責める必要なんて本当はないのかもしれない、ということ。

 

本当は全部、自分の中にある。足りないのは元気。元気がなくて、「本来の私」の姿でいられないだけなんじゃないかって。だって、優しさとかって、外から取って付けるものじゃなくて、内側から自然とわくものじゃない?ほんのちょっとの勇気とか、ありがとうって気持ちも同じ。全部、内側から自然とわいてくるもの。既に自分の中にあるもの。

 

だから足りないときは、休めばいい。自分の心が気づいてほしいことに気づいて、叶えてやればいい。

 

休むことに罪悪感をおぼえる人は多いと思う。しかし、休むことで人に優しくなれるのなら、それは立派な社会貢献なんじゃないかな。元気になって毎日笑顔で生きられるのなら、それは立派な自分貢献だね。

休んで元気になることは、社会にも自分にも貢献してる。だからちゃんと休もう。元気になろう!空元気じゃダメよ。心が気づいてほしいことにも気づいてあげるのだぞ!

 

「休むことは社会貢献」って言葉、真面目に生きている日本人には、グサりと刺さりそうだな~って書いてて思った笑

グサりと刺さったあなた(実は私も)は、きっと真面目なお方だね。

 

さあ真面目なあなたほど、ちゃんと休もう~(社会貢献しよう)!そして一緒にヘーゼルナッツのクッキーを食べよう~!(てきとー)

ゆらゆら~ぷかぷか~!波の音とともに、サラバッ!

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あなたとの出会いを心から待ち望んでいます!

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ABOUTこの記事をかいた人

孤独が大好きで、24時間内省している人間。 「自分」を大切に生きることについて模索し、「自分」を生きることに全うしている1人の挑戦者です。 日々の学びが、誰かのためになればと思ってブログ書いています!