こころもちをきれいに大きくもって。[600/1000]

どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向こうにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

 

静かで、冷たいもの。しかし、同時に烈しく熱いもの。わたしにとって魂のふるさととはそういうものである。毎日、毎日、ふるさとを想いつづけるなら、心持は鎮まり、次第に猛りを帯びてくる。ふるさととはそういうものだ。物も金も必要としない。逆にいえば、物や金に頼るほど、分からなくなってしまう。

宮沢賢治にとってのふるさとは、銀河鉄道が疾駆する、宝石のごとく輝く乳の流れであったのだろう。どこまでもどこまでも一緒に行こうと、ジョバンニはカムパネルラにかたりかける。どこまでもどこまでも、だ。生きることに終点はあっても、銀河鉄道に終点はないのだから。われわれの不滅性は、銀河の彼方まで、どこまでもどこまでも伸びていく。

 

人間の心が、ふるさとに耐えるには、かなしみを背負わなければならないのだと思う。かなしみは、なにも悪いことではない。むしろ私は、かなしみを背負っているときのほうが、正常であると感じる。ふるさとを見つめれば、生きていることが哀しくなる。人間として生を享け、知己に出会えたことは奇跡であり、母のもとに生み育てられ、すくすくと生きていることは有難い。肉体を持ってしまった以上、必ず別れのときがやってくる。みな、さよならを告げて、銀河の流れにかえっていく。

 

湿っぽいのはこれくらいに。なにもかなしみにしずんだまま今日を生きたいというわけじゃない。燦燦と煌めく星も、太陽のもとでは姿を隠す。大きな陽に艶よく焼けて、カラカラと気持ちよく笑って生きられたらそれで結構だ。その点、私はもう少し陽の浴び方を心得なければならない。朝晩はしずかでいいけれど、昼間は汗を流して働くことこそ、正しい生き方だろう。

銀河鉄道の乗車券は、しずかな心持である。心をしずかにすれば、いつだって銀河鉄道に乗ることができる。私はこの一冊を、17日後に控えたインドの旅に持参するか迷いはじめている。だが、外を旅する人間は、本に目を落とすよりも、実物の天の川を見上げるほうがよさそうだ。

どこまでもどこまでも一緒にいこう。だが、もう少しこの人間界を遍歴してみよう。こころもちをきれいに大きくもって。

 

2024.2.10

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