寂しさを否定することはない。寂しさは根源を見つめる生命の悲哀である[584/1000]

異国に暮らして不自由なことはないのですか。私が訊ねると、彼は自信に満ちた口調で言った。何も不自由はしていない。なぜなら私にはテレビも必要ないし、新刊本も必要ないからだ。ただ、昔読んだ古い本を読み返していればそれでいい。

(略)

ふと、古代スパルタの廃墟で会った老人の顔が浮かんできた。彼はあそこで何をしていたのだろう。本を読んでいたわけでもなく、考えごとをしていた風もなかった。ただぼんやりしていただけだった。もしかしたら、と私は思った。あの老人は、ああやって誰か話し相手になりそうな人が来るのを待っていたのではあるまいか。

(中略)

確かに、彼にはテレビも新刊も不必要だったろう。しかし、彼もまた人だけは必要としていたのではなかったか。

そのとき私は、自分が胸のうちで、彼もまた、と呟いていたことに気がついた。そう、彼もまた、と……。

 

沢木耕太郎「深夜特急5」

 

森で静かに暮らしていたとき、私も老人と同じく、不自由を感じることはなにもなかった。スマホやネットのない生活に、精神はむしろ自由を感じていた。新刊本も必要としなかった。森で読んでいた本は、すべて古本屋で仕入れた20世紀以前の本であった。

だが、老人と同じく、もしくは、若かりし沢木さんと同じく、私は毎日のように人に会いたかった。私は毎日、誰かしらに会う夢を見ていた。毎晩、夢のなかで邂逅を果たしては、毎朝、誰もいない森小屋で、静謐な朝をむかえた。

 

寂しさはあったが、寂しいのは自然だと思った。ゆえに、私は沢木さんのように「人だけは必要である」とまでは断言しない。われわれ人間は、人に会いたくも喋りたくもなる寂しい生き物であることは認める。だが、寂しさを抱えながら、寂しく死んでいくような、哀しい存在だとも思う。

 

寂しさとは、われわれの肉体が個別に分け隔てられたことに対し、宇宙の根源を見つめる生命の悲哀ではなかろうか。われわれは寂しいと感じるとき、月と語ったり、星を見上げたりする。または、大地を散歩したり、潮風に両手を広げてみたりする。

これらの行動は、根源を思い出すためにある。根源を思い出すとき、寂しさを感じながら、寂しさを肯定できる。肉体に隔たれた寂しさは、生きているかぎり完全に拭い去ることはできない。だが、われわれの故郷を思い出し、寂しさを肯定するだけでも、寂しさは優しくなるものだ。この分け隔たれた肉体で、がんばって生きてみようと思えるのだ。

紛らわすとは、物質的な行為で寂しさをごまかすことを言う。紛らわすと、寂しさが一層深まるのは、物質行為によって肉体の隔たりがより強調されるからであろう。

 

日本の中世、鎌倉の隠者である鴨長明の「方丈記」の出版本にこんな解説が書かれていた。鴨長明も、人に会いたく、俗世への未練が残っていたと。

つまらん解説を読んだと思った。そんなことは当たり前だ。山で一人生きたら、寂しいにきまってる。たとえ出家した坊さんだって、ほんとうに誰とも会わなければ、寂しいと感じる肉体を持っている。

だが鴨長明は、寂しさを寂しさのまま生きたから、方丈記は涙を誘うんじゃないか。人に会うことが「必要」とかそういうことではなく、そういう生き方しかできなかったから、生命の悲哀がむき出しになっているんじゃないか。

 

会いたいのなら、会えばいい。だが、寂しさを否定することはない。そして思い出すがよい。寂しさとは、根源を見つめる生命の悲哀であると。拭いきれない寂しさを抱えたまま、同じ寂しさを抱える生命と、現存在を分かち合うことを夢に見ていると。

寂しくていい。寂しさがなくなってしまったら、だれとも繋がることができなくなるのだから。

 

2024.1.25

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