悪魔の力なしでは、悪魔に立ち向かうことさえできない[263/1000]

世界は悪魔に支配されたと書いたその日に、自分の心に悪魔が住みついていることを自覚した。自分は汚れた心を持った人間だと悲しくなった。

その罰を受けるかのように、人に騙され、裏切られ、見捨てられ、あんなにも心を怒らせたり、悲しませたり、怖がらせたりしないと誓ったのに、心に嵐が吹き荒れて、荒野の崖から転落しそうになっている。乾いた風が、枯葉をはこんでる。

 

純粋な世界に憧れて、理想郷ばかりを夢見るようになる。現実の醜さを軽蔑しながらも、しかし、一体いつから、己の心は綺麗だと錯覚していたのだろう。天風先生の言葉をお借りして、いつしか自分にこう言い聞かせたものだ。「この宇宙から授かった、神にも通ずる尊い心を、決して、怒らせたり、悲しませたり、怖がらせちゃいけないよ。」

この言いつけを破って、尊い心を踏み潰している。こんなことしちゃいけないと分かっていても、踏み潰さずにはいられなくて、涙をこぼしながら、ぐちゃぐちゃになりながら、心をひたすら踏みにじって、ボロ雑巾のようになっていてもまだやめようとせず、ただもう形がなくなるまで、心という心を惨めに踏みつぶすのだ。

尊い心はこんなにも辱められたにもかかわらず、塵くずの中で何事もなかったように形を取り戻すと、地面からスッーと宙に舞ったと思えば、純粋に煌めくことを決して諦めないのだ。こんな愚かな人間も、温かい手を差し伸べてくれるのか。落ちた涙を手のひらですくって、微笑みながらそっと接吻してくれるのか。

 

人に騙されることも、裏切られることも悲しいが、それはあたかも、相手だけが一方的に悪く、自分自身には一切の非がないような言い方だけれど、本当にお前は善人だと確信できるのか。知らないところで人を傷つけている可能性は十二分にあるのだし、そもそも悲しんだり、怒ったりすることで、自分の尊厳を守ろうとしているだけなんじゃないのか。

人間の尊厳は、確かに認めるが、今お前さんが守ってるものは、本当に尊厳といえるものかい。むしろ、心を粗末に扱うお前さんは、自分で自分を辱め、人間の尊厳とやらを踏みにじっているのではないのかい。ほら見たことか。やはりお前さんは、正当防衛をしているようで、戦うことを放棄し、すべての主導権を悪魔に委ね、好き放題やらせてるだけなのだ。戦うことをやめ、悪魔に食い尽くされるお前さんは、戦うことを知らない無知な人間なのだ。

 

さあ、毒の杯はここにある。愚かな人間よ、この杯を飲んでみよ。悪魔に気づいたからには、悪魔はさっさと食らい尽くさなきゃな。毒がなければ人は強くならないのだし、悪魔の力なしでは、悪魔に立ち向かうことさえできないのだ。毒をクイッと飲み干して、乾いた喉を潤わすがよい。あれほど望んでいた毒の杯がここにある。さあ、今こそ、毒を飲み干し、悪魔の力を手に入れるがよい。悪魔の存在を認めてもなお、悪魔に好き勝手させてやるのは、ただのお人好しだぜ。お前は自分を買いかぶっているいるようだけれど、お前は決して善人なんかじゃないんだ。いいか。善人になりたきゃ、善人になってちゃだめなんだ。悪を食って食って、食らい尽くした者だけが、善に近づくことができるのだ。

さあ、喉から出るように欲しかった悪魔の力がここにあるぜ。悪の力を手に入れて、悪の力で生きてみろ。そうだ、この杯を飲み干して、苦しみ悶え、強くなってみろ。

 

熱を帯びてこれだけを言い放つと、何者かは私の前から去っていく。果たして、これは賢者だったか。それとも悪魔だったか。

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