昨夕、諏訪湖を眺めながら、傷ついた時とは違う、不仕合わせな苦しみを感じていた。
まるで亡霊のようだと思った。死ねなかったとき、自分は生きた亡霊となって、自己の内を永遠と彷徨いつづけ、自分を蝕みつづける。心を蝕み、身体を蝕み、死に場を失った亡霊は、肉体的な死を欲することで、消滅することを望む。刃の矛先が外側に向けば、他人の死によって清算しようとする。
今日の生活が平和のフリをしていても、それはあくまで生の衝動に満ちた外側の世界であり、閉じ込められた死の衝動のツケは、家庭やネットのような陰で暴力して発散される。幸せと不幸のエネルギーが均衡を保つのと同じように、生と死の衝動も必ず同じ分だけ存在するのだと思う。表面上の社会がどれだけ綺麗になっても、どこかしらで死は清算されなければならない。
いじめによって苦しい思いをするのは、自分が亡霊となってしまうことだ。複数人に囲まれて殴られたとしても、そこで歯を食いしばって、相手の顔面を思いっきり殴り返すことができれば、死の衝動はある程度清算され、身を投げ出そうとは思わないはずだ。身体がボロボロでも、相手の顔面を殴り返せたことに、むしろやってやったぜという生き心地を感じると思う。加害者側も、いじめが陰湿になるのは、生の衝動に振り切れたツケだろうか。
教員をしてまもなく心身を病んだが、最初は死にたいなんて思うことはなかった。吃音が悪化して、まったく言葉が出なくなっていたが、戦場で銃で撃たれ、応急処置をしていたような感覚だったから、しっかり休んだらまた復帰しようと思っていた。それがおかしくなって、死にたいと思うようようになったのは、母が心配して岐阜から福岡まで来たことがきっかけだった。母は心配の一心で来たことは間違ないが、当時の私の本音は、「生かそうとするよりそのまま死なせてほしい」だった。母自身も心配の一心が生に振れたのだろう。そうしてそのまま死なせてくれという懇願を押し切って、無理やり福岡に来たのだが、当時の私は、母の顔を一度見てしまえば、もう死ぬことができなくなってしまった。それが当時の私の弱さで、母の弱さであったように思う。今はすべて宿命だったと認識している。
自分が亡霊になっていないかを知る一つの問いは「今死んでも悔いはないか」だと思う。亡霊はいつも悔恨を残す。悔恨が一つでもあるかぎり、清々しくこの世を去ることはできない。
死にたいと思っている。これは死にきれない亡霊が肉体の破壊を望むという意味ではなく(そんな時ももちろんあるが)、亡霊になる前の死の衝動を自己の内に実行させていくということ。生に満ちた社会で死を実行していくことは簡単ではない。結果的に生の圧力に負けて死にきれないことが、社会を苦手とする理由である。
今日は何もしなくても生の衝動に流れていく。死の衝動を実行することは魂の試練となる。
生きているうちに自分を死なせてやらなくては、死んでも死にきれない。
傷つくことと、恥辱をうけることは、どちらも不快であるけれど、性質は別物。死に向かった先にあるのが傷で生に向かった先にあるのが恥。
傷つくことは、死に向かおうとする勇の証だから胸を張っていい。友人や親、子供、恩師に顔向けできないことのほうがずっと苦しい。https://t.co/4tk3lj1n3j— 内田知弥(とむ旅, もらとりずむ) (@tomtombread) December 10, 2022
精神修養 #85 (2h/178h)
自我の衝突の中にいる。衝突の先にあるのが、お互いの自我を守るための妥協点を見つけることであるなら、何とも虚しいことか。尊重とか、winwinとか聞こえはいいものも、突き詰めれば最後は自分を満たしたいだけではないのか。
すぐに自分を満たそうとしてしまう。自分が膨れ上がるほどに、イガイガした棘を帯びている気がする。本当はこんな闘いはどっちだっていい。さっさと白旗を上げて投降してもいい。まさにやっていることは、「仁義なき戦い」であるように思う。
自分が法と一体となるから、譲れない信念が生まれる。
[夕の瞑想]
不仕合わせ。瞑想すら投げ出したいが、ここで投げ出したら堕ちるところまで堕ちる。堕ちるのもいいかもしれないが、こういう投げ出したい時のために規律がある。法の強制力によって、自我の堕落を制裁する。
直視したくない感覚が生じる度に、上半身や手を動かして誤魔化そうとする。本能的に身体を動かすことでエネルギーを分散しているのだろう。しかし、エネルギーの分散を許せば、動きに誤魔化されて、いつまでも死ねない。
もう何もかも捨てて死んでしまいたいと思うのは、死にきれなかったことの反動だ。死の衝動が満たされない時に、肉体もろとも、本当に死んでしまいたくなるのだ。
コメントを残す