カッコイイ生き方をしたいなら今を生きるしかない[42/1000]

長野県木曽郡の太陽の下にいる。相変わらず暑い。海塩と水を大量に摂取している。これがなかったら今頃ぶっ倒れている自信しかない…..!

皆さまは、暑さに負けじと今日を元気に生きていらっしゃるだろうか?気づかないところで発汗しているので、室内で過ごされている方も、塩と水を摂ることをお忘れなく!

 

さて1000日投稿も42日目。いい加減、書くネタがない~~~!今日こそ途絶えてしまうのか~~~!?といつもの茶番を繰り広げております。そして毎度のごとく、ネタがあるとかないとかいう発想が間違っているのだ!今あるものをそのまま綴ればいいのだ!と叱責しております!

 

今とは何か!今は今だ。私にも今がある。

早朝、父母とコーヒーを飲み交わし、別れを告げ実家を後にした今!

長野は富士見町の0円空き家を、友人に見てもらおうとしている今!

友人との待ち合わせを1時間後に控えながら、太陽に負けじとブログを書いている今!

この瞬間も、1秒…..また1秒と今は更新されていく!生きるているかぎり今は続く。そして続いた先にある今。

 

死んだことはないけど、死んだらきっと「今」はなくなる。生きていても、今を生きていないときは死んだようになる。今を生きているときだけ、体験は心に刻まれる。

皆さんも心に残っている出来事を思い出してみてほしい。心に残っている出来事は、いつも「今」生きていた瞬間のはずではないでしょうか。心にパンチできるのは今だけだ。今が心をパンチする。今がパンチ、今がパンチ!今を生きることが、この瞬間を一番輝かせる方法なのだ。

 

今をそのまま言葉にしているかぎり、文章は続く。これは、呼吸をしているかぎり命が続いていくことに似ている。ネタがないとか言っている傍ら、ネタがないと焦る今があるのだ。毎度毎度の同じことしか言わないけど、今を残す以上に私には何もできないし、これ以上に今を大切にできる方法もない!

ということで、今を刻みませていただきます!押忍!

 

1週間ほど前、小淵沢のとむの家にRさんが来訪した。昨日、そんなRさんから屋久島に到着したという報せが届いた。添えられていた写真には、綺麗な青空とフェリーから眺める屋久島が映っていた。

私はRさんから報せをいただいて、無事に着いたことへの安堵をおぼえた。しかし、かっこいい!という感情が心に渦巻いているのが分かった。

 

「どうして屋久島なのですか?」と私が尋ねたとき、「屋久島に呼ばれたような気がしたから」とRさんは答えた。

特に屋久島に予定があるわけではなく、ただ屋久島に呼ばれた感覚をおぼえたから、仕事にケリをつけて、これから身一つで屋久島に乗り込むのだという。

 

私が彼女をカッコイイと感じたのは、彼女の「背中」を感じたからだと思った。人と会った後、「顔」の印象はよく残る。しかし背中の印象が残ることはとても稀だ。

背中というのは、大海原の水平線を眺めながら、船首に仁王立ちする漁師のイメージに近い。私が憧れていた海の男は、言葉よりも背中で己の生き様を語るようなクサくて最高にかっこいい男だった。

「今を生きる人は、背中が見えます!表情が分からない。感情もわからない。でも、背中が見えて、とてもかっこいいのです!」私はRさんに高ぶった感情をそのまま伝えた。

 

今を生きるとき、不確定な未来は消えるのだと思う。ある人にとっては、仕事をやめて不安定な未来に向かって、冒険しているように見えるかもしれない。

しかし、今を生きる当人にとっては、今しかないのであって、不安定な未来はそもそも存在していない。不安定な未来に進んでいくという考え方が既に、過去や未来を生きる前提にある。

 

なんだか、毎日のように「今」を生きることばかり書いている気がする(笑)

きっと私自身が、今を生きたいと強く願っているからなんだろうなぁ。カッコイイ生き方をしたいのだろうなぁ。

 

 

本文、途中から、待ち合わせ時間となり、結局、続きを書き終えたのが21時半近くになってしまった・・・でもなんとか42日目も形にしてやったぜ・・・!うおお!ほらネタがないなんて、嘘じゃねぇかよ俺!!!

それにしても、今日は本当に暑くて、今ヘロヘロ。何も頭が回んないでござんす。

 

皆さまも今日を無事に生きてやりましたでしょうか。

今日も立派に地球人をやりきった祝杯を共にあげて、ぐっすり眠りましょう!!!

 

というわけで今日はこの辺りで!また明日!ばいばい!

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