同じ意味でも「成長したい」という言葉は胡散臭さを感じるけど、「限界を超えろ」と己を鼓舞する姿はカッコイイ。
言葉は未来に放つのではなく、今ここにいる自分に向けて放つ。
— 内田知弥(とむ旅, もらとりずむ) (@tomtombread) September 13, 2022
山ごもり3日目、真っ白の世界から始まった。
岩手は遠別岳。朝の5時で気温は8度。昨日はここから、壮大な朝焼けが見えた。今日は濃霧で真っ白。
霧の中うっすら見える牛は、ちょっと不気味だった。これが羊だったら、ちょっとしたホラー映画だったかもしれない。
【山ごもり瞑想記録】
<day2 朝>
2日目の朝の瞑想が終わった。今日は1時間通しでやってみたけど、30分×2でやるのとは、質が違うと感じた。
今日も、心はよくしゃべって、よく考えた。ああどこにいても何をしていても、本質は命がここにあるだけだなとか思ってた。
何の脈絡もない映像がよく浮かぶ。漫画キングダムの政の顔が突如と浮かんだと思えば、次の瞬間には、今朝見た綺麗な朝焼けが映像となって蘇った。そんな映像を、ただ観察する。
全体を見れば、今日も呼吸に気づいていられたのは、10分の1もなく、10秒もしないうちに、意識は持っていかれていた。
瞑想をしていると、いかに日々を反応的に生きているかが分かる。
瞑想中はフラットに。太陽の日差しは温かくて気持ちがいいが、心地よい感覚に執着しない。顔がかゆくなってもかかない。
好きな感覚も嫌いな感覚も、ただじっと観察する。
昨日、今日と瞑想をして、やっぱり瞑想はいいなと思った。
<day2 夜>
1時間通し。目を明けたら、陽が完全に落ちて、世界が真っ暗になっていた。1時間経ったという時間の感覚はあるようでない。
今日は睡魔に襲われることはなく、意識が朦朧とすることはなかった。
全体を通して、自分と思考の境界線が曖昧だと感じた。
4年前と6年前、10日間の瞑想合宿に参加した時は、思考や感情が生まれる瞬間を、はっきりと捉えることができていた。反応せずただそれらを観察し、自然と生じた思考や感情が、自然と消滅する瞬間まで、ただ観察していた。
当時と比べると、今は集中力がかなり鈍っていることが分かる。
反応的に生きていることが分かる。
終盤は、集中のギアを1段階上あげるために、鼻孔を通る空気の厚みや温度、感触まで詳細に感じようと試みた。
そのおかげか、思考や感情が生まれる瞬間に気持ち程度、気づきやすくなったように感じた。
でも、まだまだ修行が足らない。長いこと怠っていたツケがまわってきている。
ここはクマがよく出るらしい。近くで働くおばちゃんは、道中で2回クマに遭遇したという。「遠別岳 クマ」で検索すると、登山中にクマに遭遇した体験談が出てくる。
瞑想中、色んな雑念がわいてくるが、毎度必ず、クマの恐怖がやってくる。
三毛別羆事件のことを思い出す。日本史上最悪と言われるヒグマの事件。
1970年に起きた、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件のことも、最近知った。数日間に渡ってヒグマに追いかけまわされて3人が亡くなっている。想像しただけでも、生きた心地がしない。
近年では2016年に、十和利山熊襲撃事件が起きている。これは秋田で山菜を採っている人を、ツキノワグマが襲った事件で、戦後最悪といわれている。
山登り中に、クマと遭遇して死ぬことは、天文学的な確率といわれているが、恐怖はみるみると心を支配していく。
怖いのは、想像できてしまうことで、山道を歩いていると、目の前の茂みからガサガサ音がして、クマがバッと登場するイメージがあまりにも鮮明に浮かんでしまう。そこらの岩が、クマに見えてくる。
人間は食物連鎖の頂点に立ったかもしれないが、それは頭が良く、火や道具を扱えたからだ。単純な力勝負では、クマには勝てない。
・・・と、色々考えると動けなくなってしまうが、思考と自分を一体にしている証拠だろう。
妄想に支配され、現実を生きられないのはカッコ悪い。
もうしばらく待って、霧が晴れたら、今日こそは登りに行くぞ!
クマ除けの鈴が手元にないので、スマホで音楽を流して、歌いながら行こう…!
限界を超えろ!言葉は未来に放つのではなく、今ここにいる自分に放つ。
コメントを残す