楽しいことを想像すると風が吹く。その風に乗ってしまえば、世界は私たちをそこまで運んでくれる。
頭でごちゃごちゃ考えて「できない」とか考えちゃうと、吹いてたいい風は途端に止んでしまう。
ただしゃぼん玉が風に乗ってゆらゆらと飛んでいくように、楽でいよう。https://t.co/Cc86cNd4ZR— とむ(森の中に家を建てることが夢) (@tomtombread) August 2, 2022
長野は茅野のとある公園で朝を迎えた。今日も太陽が昇って、今日だけの今日のための1日が始まる!
私は心地よい風に乗ってのんびり過ごしたい気分ですが、皆さまはいかがでしょうか!?
冷たい朝の爽やかな風を満喫していると、小学生くらいの子供5,6人が公園にやってきた。朝から子供が公園に遊びに来るなんて、この町は元気だな、と嬉しい気持ちになっていると、20人、30人と続々子供がやってきて、夏休みのラジオ体操が始まろうとしていることにようやく気づいた。
一人の静かな朝が、賑やかな朝になった。
低学年くらいであろう女の子2人が、2本の植木を8の字を描くように、エンドレスに走りまわっている。追いつきそうで、追いつかない。三半規管も弱って、目もまわっているだろう。笑いながらぐるぐると回る2人は、息を切らしながら、とても楽しそうだった。朝6時過ぎから、とても元気だ!
私は彼女らを見て、小学生くらいのときに似たような遊びをしたのを思い出した。ただ目的もなく円を描くようにグルグル回る。次第に世界が回転しはじめて、そのまま地面に仰向けにぶっ倒れる。大地を背中に感じながら、世界がぐるぐるとまわる続ける感覚は、ぐちゃぐちゃだが、刺激があった。気持ち悪いけど、気持ち良いという不思議な感覚だった。
私もラジオ体操に参戦して、朝から清々しい時間を過ごした。先ほどまで、すごく楽しそうに遊んでいた女の子2人は、ラジオ体操はあまり気が乗らない様子で、ほとぼりが冷めたように、しぶしぶ体操をしていた。私はその正直な温度差に笑いながらも、微笑ましい気持ちになった。
彼女たちにとって、ラジオ体操をしている今よりも、植木のまわりをぐるぐると走り回るさっきのほうが、よっぽど健康に貢献しているだろうと思った。
ラジオ体操を終えて、人は皆去り、再び静かな時間が訪れた。
今日は何を書こうかと思いながら、風があまりにも爽やかで、私はこのまま、ただ、風を感じていたいと思っている。しばらく目を閉じて、風を感じていたら、今日はこの風を言葉にすること以外、何もできないような気がした。言葉にこの風を乗せたい。
木の葉を気持ちよく揺らす風。サ~~~ッと葉っぱが擦れあって、影も一緒にゆらゆら揺れる。
その上を一匹の蝶々がひらひらと渡ったと思えば、今度は反対側から一匹のトンボがやってくる。
遠くの山から聞こえるセミの大合唱は、風の中で聞けばとても爽やかで、
4匹のツバメの家族は、華麗に宙を舞い、まるで追っかけっこをしているように遊んでいる。
小さな子供がやってきて、しゃぼん玉を吹いた。
しゃぼん玉は、風に乗ると、ぐんぐん上昇してゆき、1つ、また1つと弾けていく。
その中でもひときわ大きなしゃぼんの1つは、根性があるようで、木を越え、田を越え、屋根を越え、視界から見えなくなるまで飛んでいった。
きっと今頃は、ふわふわと風に乗りながら、地球の反対側を冒険しているだろう。
風に乗ってどこまでも飛んで行け!しゃぼん!
ただ風に乗って、流れるままに、飛んで行け!しゃぼん!
皆さまは背中に風を感じる経験はあるだろうか。
私は一昨年、オーストラリアをヒッチハイクで横断したことがあって、その計画を立てている時、砂漠の大自然の中を「EAST」というボードを掲げながら、一人で歩いている姿を想像しては、どうしようもなくワクワクして、室内にいながらも背中にものすごい風を感じたことがあった。
想像に想像を膨らませ、砂漠の中でついに車が止まって、ヒッチハイクが成功した瞬間を想像したらさらに楽しくなって、身体が軽く、走りながら背中の羽で飛んでいるな不思議な感覚になった。
まるで世界が私をどこまでも運んでくれるような気がした。
楽しいことを想像すると、風が吹く。その風に乗ってしまえば、世界は私たちをそこまで運んでくれるのだと思うけれど、身体が風に乗ることを拒むと、想像だけで終わってしまう。
頭でごちゃごちゃ考えて「できない」とか考えちゃうと、さっきまで吹いてたいい風は、途端に止んでしまう。私は風を感じる時間が好きだけど、風が止む瞬間は、とても悲しい。
風に乗ることはとても簡単で、ただしゃぼん玉が風に乗ってゆらゆらと飛んでいくように、木々がそのまま風にゆらゆらと揺れるように、ツバメが風の中で追いかけっこをして遊ぶように、抗うことなく、ただ自然な状態でいればいいのだ。
想像で風が吹く。風に乗ると、さらにいい風が吹く。私は小説「赤毛のアン」が大好きで、その理由の1つは、アンが想像力の塊みたいな少女で、彼女の言葉を受け取ると、私の中にもいい風が吹き始めるからだと思った。
あそこを並木道なんて呼んじゃいけないわ。そんな名前には意味がないんですもの。こんなのにしなくては―ええと―「歓喜の白路」はどうかしら?指摘でとてもいい名前じゃない?場所でも人でも名前が気に入らないときはいつでも、あたしは新しい名前を考えだして、それを使うのよ。
引用:赤毛のアン p37
子供たちが去った今も、相変わらず爽やかな風が吹いていて、私はただじっと風を感じている。
最近は、毎日塩を舐めて、太陽とバチバチに戦う日々が続いていたから、今日は久しぶりの休戦日のような気分になる。
・・・と書いている矢先、熱中症アラート発令の広報が流れた!あれ、、、今日もお日様はバチバチモードでしょうか!?(愕然)
広報では、水分補給はちゃんと言っても、塩を舐めましょうとは言わないのだね。
水飲むだけじゃなくて、汗かいたら、ちゃんと塩も舐めることをお忘れなく!
じゃ今日はこの辺りで!風に耳を澄ませて…..
また明日!ばいばい!
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