人をめぐる旅をして、5日が経つ。
今朝は、松本市内の公園で朝を迎えた。
小鳥のさえずりで心地よく目覚めた…..なんてのは夢のまた夢で、
昨晩は風が吹き荒れたために、テントがブワンブワン揺れて、怖くてまったく眠りにつけなかった。
それでも、早朝の静かなで爽やかな空気のなか、黒々と立派に立つ松本城を見上げて、
昨日出会った方から頂いた”おやき”を口にほおばると、色んな想いがこみ上げてきて目頭がグッと熱くなった。
「あなたにとって生きるとは?」
昨日、出会った方とこんな話をした。
人それぞれ「生きるとは」に対する答えは違うけれど、
「生きるとは」を問うことは、命が望む方向へ精一杯生きることと、同義であるように感じます。
だから、1つの切り口として
『自分の命が最も生きてる瞬間』を見つけること
番長
- 「自分、生きてる!」と感じる瞬間はどんなときなのか気づいて
- その『生きてる』瞬間を生活のなかで増やしていけば
自分の命が生きたといえる生き方に近づいていくよね。
1 あなたにとって生きるとは?命が生きてる瞬間を見つけよ
あなたはどんな瞬間に「命が生きている」ことを実感するか。
命が生きているときは、身体にもサインが現れる。
昨日、出会った女性がこんなことを言っていた。
「わたし、本当に幸せなときは、心臓の奥が痛くなります。」
この言葉を聞いたとき、「なんかいい!」って思った。
頭だけで言葉を語るのではなくて、身体の『生』の感覚を噛みしめながら、心で言葉を発してるんだなって。
それで、ボク自身、これまでに一番命が生きていた瞬間を
- 頭
- 心
- 身体(感覚)
の3つの観点から振り返ってみることにしたんだ。
そしたら、
『全ての力を使って全力疾走した後の、心臓のバクバク感』で、生を実感することに気づいた。
全身の筋肉が悲鳴をあげている。立っていることが苦しい。呼吸が乱れて息をすることもやっと。
そんな疲弊した状態で、腹の底から「うおおおおおおお」と声を絞り出す。
そんなとき、まるで「これが俺の命だあああ」と雄たけびをあげているような感覚になるんだってね。
命が生きている兆候は、気づいていないだけで、身体にも表れている。
どんな感覚のとき、「ああ、自分は生きてる」って感じられるのか。
頭で分析したり、心のワクワク感を頼りにしたりもするけれど、
たまには身体の訴えにも耳を傾けてあげようと思う。
2 あなたにとって生きるとは?痛みの先にある感覚
「自分」は痛みを避けるけれど、
「命」は痛みを求めている。
傷つけられて、勇気くじかれると、ついつい痛みを避けようとする。
ボクはそれでいいと思うんだ。
ヒュイヒュイッとかわしながら、傷が癒えるまで、安全な場所にいればいい。
大自然の中で、ゆっくり深く呼吸をしながら、目を閉じていればいい。
ただ今回こうして、「生きるとは」を問うてみると、自分の中の矛盾に気がついたんだ。
- 自分は「痛み」なんて感じたくない
- けれど、命は『生きている』実感を得るために「痛み」を求めてる
って。
人は楽をしようとする。
全力で走ることなんて、できればしたくない。
けれど、心臓のバクバク感や、言葉に言い表しがたいような充足感は、全力で走った先にある。
生きている感覚を得るためには、『自分を痛めること』が必要なんだ、ってね。
昨日出会った女性は、これから海外に行って勉強するということ。
それで、どんな海外生活にしたいのか聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
…..「自分を痛めつけて、痛めつけて、ゆっくりと前に進んでいく。」
痛みを嫌う時期もあれば、痛みを欲する時期もある。
自分は変化し、矛盾する。
今、命が欲しているのは、どちらなのか。
もし命が「痛み」を欲しているのなら、
- 恐れず挑戦して
- 思いっきり傷ついて
- 全身で「痛み」を受けとめる
身体中に、傷跡をたくさん残して、「これが俺の生き様だ!」「これが俺の命だ!」と雄たけびを上げようじゃないか。
痛みは、自分がこの世に生きている証になる。
3 生きるとはを問い続けよ
「生きるとは」の問いは、生きているかぎりつづく
「誰かの放った言葉」で、人生を悟ったような気にはなりたくない。
ボクはいま、東南アジア一周を終えて、原付にテントと寝袋を積んで、日本を旅しているんだけれど、
たまに、こんな自分がバカだなと思う時がある。
さっさと社会に復帰して仕事をすれば、生活は安定して、親も安心するだろうし、今ほど苦しい思いをしなくて済むのかもしれない、って。
けれど、ボクの命はこのまま旅を続けたいと叫んでいる。
- 「1つの答え」に安住するのではなく、
- 不安定な状態のなかで「生きる」ことを問い続けたい
これは、男のロマンでも女のロマンでもなく、人間としてのロマンなのだと思う。
「誰かの放った言葉」を鵜呑みにするよりも、「自分の中から生まれた言葉」を綴ったほうがきっと楽しいって、そう感じてる。
もしかしたら、答えなんて見つからなくてもいいのかもしれない。
けれど、それでもいいのかもしれない。
大事なことは、「生きる」ことから目を背けず、問い続けることなんじゃないかってね。
そんなわけで、旅はまだまだ続きます。
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