罪を償うということ。私は罪を償いながら生きていく。

山梨県 富士吉田市のマクドナルドにいる。

山梨県小淵沢の駅で朝を迎え、5時間かけて原付でここまできた。

 

「どうして旅を続けるのか。」

そんなことを、これまで出会ってきた人に問われては、答えが分からず、ずっと自分自身に問い続けてきた。

 

今日、なんとなくその答えが分かった気がする。

ボクが旅をしているのは

『自分の犯してきた罪を償うため』なんだって。

 

 

1 罪を償う気持ち

20日前から旅をしている。

スーパーカブという原付に、テントと寝袋、ガスコンロと鍋、最低限の着替えを持って、日本のあちこちを巡っている。

 

人をめぐりながら、これまで自分が伝えられていないままだった「何か」を、1つずつ1つずつ、「心の言葉」にして渡している。

  • 高校時代のテニス部のパートナー
  • 深い付き合いをしていたのに疎遠になってしまった女性
  • 辞めたあと音信不通になっていた大学のゼミの先輩
  • ずっとお世話してくれていた先輩
  • 同じ職場で出会ってくれた人達

 

こうして言葉を紡いでいると、不器用だったボクの心が伝えたかったことは、3つしかないことに気づいた。

1つ目が、ごめん。

2つ目が、ありがとう。

3つ目が、これからも一緒にいてほしい。

 

ごめん….?

初めてこの心の声気づいたときは、自分でもちょっと驚いた。

 

けれどすぐに、「ああ、自分の今までの旅は、罪を償うためのものだったんだな」って腑に落ちた。

  • 傲慢に生きていた自分を罪深く思っているのだな
  • 人を見下し、人の心を踏みにじってきた自分を恥じているのだな
  • 自分の罪を告白して、償いたいだけなのだな

って。

 

 

自分が弱い人間だったと知れた今だからこそ、傲慢だった自分を恥に思える。

ボクは、人をめぐりながら赦しを請いて、自分を赦してやりたいのだ。

そして本当の人間になれたとき、人と手を取り合いながら、前に進みたいのだって。

 

2 罪を償うことの懺悔

ボクはいま、素っ裸に近い状態で生きている。

家を手放して、テントで寝袋生活をしている。

持っていた車は手放して、原付で移動している。

定職もないから、安定した収入もないし、社会的な地位もない。

 

必要最低限の食っていくだけのお金をもって、最低限の飯をつくり、

本当はよろしくないかもしれないけれど、川の水で洗濯もする。(洗剤はもちろん使わない)

 

雨に打たれながら、原付でバイパスを時速30kmで走る。

手袋はぬれて、寒さで指先の感覚はなくなって、身体は芯まで冷え切る。

 

真横を大きなトラックが倍以上のスピードで通過し、たまに縁石と挟まれそうになる。

その度に「うおおおおおおおお!」と恐怖にも悲しみになる前の、命の雄たけびを上げる。

 

修行しているみたいだね、と出会う人は言うけれど、

これは「修行」ではなく「懺悔」だ。

 

傲慢に生きた自分を恥じ、悔い改めたい。

仕事をやめて、自分の弱さが明らかになった今のボクにとって、それが己を貫く美しい生き方なのだ。

 

ありがたいことに、この旅を始めてから出会う人は、みな心優しく出迎えてくれる。

寝床を与えてくれる。美味しい料理を振る舞ってくれる。

お風呂に入れてくれる。洗濯を一緒にしてくれる。

「明日の朝ごはんに」って食べ物を分け与えてくれる。

 

ボクは最近、他人から頂いたモノを口にすると涙がこぼれる回数が増えた。

これは、

  • 自分は「生きてる」のではなく「生かされてるんだ」って傲慢さがとけているから
  • その度に「罪を少し償えた」って感動しているから

なんだって思う。

 

 

ボクは人の優しさがなければ、とっくに死んでいると思う。

 

幸運なことに、世の中には優しい人がたくさんいるから、想像なんてできないのだけれど、きっとそう。

さりげない小さな優しさって、なかなか気づけなかったのだけれど、それもきっと傲慢だったのだと思う。

 

最近、嬉しい言葉がたくさん届く。

「ブログもYoutubeも見てるよー」とか「応援してるよー」とか「大好きー」とか。

 

仕事をやめてから、色んなモノが減っていって、気づいたら生身の小さな人間になってしまっていたのだけれど、

これで良かったって今は思えてる。

 

自分のことを「人間らしい」って思える。

人との繋がりを強く感じられる。

生き辛さはあるけれど、そんな自分を誇りに思える。

 

3 罪を償うことの終わり

旅をしながら、「旅には終わりがないんだ」って思う。

 

ここ最近、派遣で働いていた山梨のホテルの洗い場で、

ずっと一緒だった、4,50代くらいの男性がいる。

 

彼は言葉を発することは少なかったけれど、

思いやりがあって、人を叱る愛があって、仕事を真摯にこなす人だった。

 

そんな彼を初めてみたとき、何かボクと同じようなものを感じた。

『ああ、この人は、何かを償いながら生きている。1年やそっとじゃなくて、何年も何年も何年もずっと。』

 

そんな彼に、最終出勤日の帰り際に、思いきって話しかけてみた。

「Mさんと一緒に働けて嬉しかったです。」って。

 

そしたら彼は、これまでの人生で見たこともないような、優しい笑顔で返してくれた。

 

言葉で表現するのは、ちょっと難しいのだけれど、

  • 部屋全体まるごと愛で包まれるような
  • 「お前は大丈夫だ」って過去も未来もすべてが肯定されるような

俗世間にあるものとは別種の、優しい優しい笑顔だった。

 

その時は、ブワァ~と胸が温かくなっただけなんだけど、時間を置いた今、改めてその時のことを思い出すと、なんだか泣けてくるのね。

『ああ、彼はずっと罪を償ってきたんだな』って。

『もう十分だよ』と言いたいけれど、彼は罪を放り出すことをせず、

死ぬまで自分の「生」と向き合い続けるつもりなんだって。

 

生きている限り、人は罪を犯し続ける。

欲が大きくなれば、人も自然も傷つけてしまう。

 

物事が上手くいって調子に乗れば、傲慢になって人を見下してしまう。

次第に、小さな歓びを、歓びと感じられなくなって、刺激的な快楽に身を投じてしまう。

 

ボクが旅をつづけるのは、彼のように「人間らしい人間」として生きたいからだと思う。

恥を恥だと認め、罪を放り出すことなく、心に忠実に生きたいのだと思う。

 

それが、『弱い人間なりの強さだ』って思うの。

 

結局ボクはどんな想いを綴りたかったのだろう。

うん、多分これ。

 

…..「弱い人間なりに、強く生きよう」

 

 

これまで出会ってくれた人、いつもブログを読んでくれている人、改めてありがとう。

そして本当に、ごめんなさい。

そして本当に、ありがとう。

そして本当に、これからもよろしくお願いします。

 


旅は、まだまだ続きます。日本中をグルグル回る予定です。

もし、こんなボクと会ってくださるという方がいらしたら、ぜひメッセージください。

原付での移動なので、お時間はかかるかもしれませんが、きっとお伺いいたします。

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1 個のコメント

  • はじめまして。

    その若さで(という言葉がおもわず出る年齢の者です)そこまでの境地にたどり着けたってスゴイなあって思います。
    〝傲慢〟って言葉を何回か目にするうちに何か痛々しい気持ちになりました。
    未だ傲慢な自分は傲慢にならざるを得なかった事情の自分を擁護する段階でまだまだ精一杯。
    いつか一段上がって(下りて?)このブログのようなところまで行けるだろうか。。と考えました。

    素敵です!

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