静かな絶望から、怒りの涙を落してごらん[292/1000]

私憤で晴らすか晴らさぬか、

ここで人間試される。

メラメラ燃えるこの炎、

腹ではなく、魂に在り。

誰にも気づかれないように、

静かに烈しく燃え上がれ。

朝爽やかな風に乗り、

雄々しき陽光浴びながら、

桜がそろそろ散っていく。

己も桜に同伴し、

永遠の従順となって、

宇宙の果てでまた会おう。

枝から枝に飛ぶ小鳥、

感極まって落ち着かず。

今は小さな友の傍で、

束の間の幸せを分かち合おう。

 

 

大きな挫折を味わった後、まるで人生からごっそりと燃料が失われたように、肚力のようなものがどこかへいってしまった。一所懸命に生きる友に申し訳なく、俺はどうやら燃えられない人間になってしまった、と情けなく話した記憶がある。しかしどうだ。この肉体というものは、情熱の炎と、憤りの炎の区別がつかないらしい。憤慨する肉体に、なんとも懐かしい力が漲ってくる。

怒ることは褒められたもんじゃない。人を赦すことは堂々たる道徳である。しかし、お坊さんでもない我々は、聖人君子でなくたって仕方がない。これを道徳破りを正当化する言葉として扱いたくはないけど、道徳を守ろうにも守れないのは、不完全な人間の性として、場合として起こりうるのだ。

 

赦せないことがあるなら、簡単に赦しちゃいけねえ。ここだけは、我を通していいんだ。その悲しみと、静かな絶望を、底の底から思いっきりぶちまけてごらんよ。禍々しい炎を帯びて、嵐のように荒れ狂って、怒りの涙を落してごらん。聖人君子として生きることは確かに理想だけれど、俗に生きる我々は、現実の自分を置いていけるほど強くないんじゃないかい?

 

ただし、道徳は捨てちゃならん。人を赦せなかった自己を恥じ、堕落した人間として生きていくのだ。俺は先に堕落した。軽蔑するなら、軽蔑したまえ。さあ、お前さんはどうするのだい。堕ちるのかい、堕ちないのかい。今ならまだ、聖人君子になることだってできるんだぜ!へ!へ!へ!堕ちたら、俺は笑ってやろう。愚かな人間同士、恥を忍んで杯を一杯かわそうや。

 

燃え上がる炎は、地獄産。コイツを人にぶつければ、惨事になっちまう。怒りは天に解き放ちたい。広々とした天に咆哮するがごとく解き放ち、堕ちてもしぶとく這い上がっていきたいのだ。

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