赦すことが正しくても、赦せないのが人間なんだ。[291/1000]

やってくれたな不届者。侮辱だけは赦すまじ。

感情なんて朝飯前。それは小鳥の問題さ。

名誉は傷つきこの屈辱、恨みは墓まで持っていく。

お前なんて不幸だと、遣いが憐れみやってくる。

人の過ち赦すなら、汝は天に赦される。

しかし己はこの屈辱、赦すわけにはいきゃしない。

宇宙が割れたこの歪み、何かが泣いてる声がする。

己はこいつを抱き締めて、共に涙を流すのだ。

胸に刺さるこの刃、もっと奥まで押し込んで。

 

 

静かに怒り狂う自分に、キリストが語りかけてくる。赦されたければ赦しなさい、と。

 

ごもっとです、それが人間の正しさです。しかし、私はこの侮辱を赦してやるどころか、憤りの炎をメラメラと燃やし続けているのです。それが例え、不幸な人間のする愚かな真似ごとでも、不幸にならなければ魂が報われないと感じてしまうのです。私はこの炎で、自分すらも燃やし尽くす勢いでいるのです。

 

侮辱を受けたとき、悲しみが宇宙に刻まれたようでした。私個人の感情など大した問題ではありません。それよりも、この宇宙が悲痛の叫びをあげることに耐えられないのです。耳奥では、むごたらしい感触がまだ残っています。あの瞬間はとても怖ろしいものでした。しかし、もしあなたが望むなら、今すぐにでもこの燃え盛る炎を消してみせましょう。実のところ私自身、この不幸な炎をどう扱えばよいか、分かっていないのです。今の私はそれくらいの分別があるくらいは冷静です。ただ、義務として炎を燃やすべきか燃やさぬべきかを、同じところを行ったり来たりして考えているのです。

 

それにしても、私は偽善がどうも好きになれません。聞こえの良い言葉を吐く悪魔にかぎって、責任から逃れることを真の自由だと勘違いしているではありませんか。皆で仲良く手を繋ごうと言いながら、好き嫌いで人の尊厳を踏みにじるのです。偽善はいつも自己の感情を中心に動いているものですから、感情に耐え切れなくなれば、平気で人を傷つけるでしょう。地球に隕石が落ちて、地球が痛ましく叫ぼうとも、自分が良ければそれでいいのです。

 

私は感情というものの価値が、分からなくなっています。感情は崇高と結びつけば人間を美しくしますが、孤立すればここに何の美学があるでしょう。まるで今は、王座に感情だけが居座って、人間は奴隷のようにご機嫌を取りをしているようではありませんか。ご馳走を運んで美酒を盛って、王がご機嫌なら胸を撫でおろし、裏ではいつも機嫌を損ねないか顔色をうかがっているのです。果たしてこれは人間のあるべき姿でしょうか。感情なぞ王座から蹴落とし、崇高で雄々しい存在が相応しいのではないでしょうか。

 

一つおもしろいことが起きました。あれほど怖れていた世界の虚無も、気づけばこの炎が燃やし尽くしているのです。雄々しく燃え上がるこの灼熱が、天井を覆う黒いものをすっかり取り除いてしまいました。悪の力をもって悪を制するとはこのことでしょう。私は段々と、この炎がどんな運命をたどるのか興味がわいてきました。黄昏のそよ風に吹き消されてしまうのか。海底に沈んでもまだ燃え続けるのか。大きくなった炎が己を燃やすが先が、己が炎を纏うが先か。

 

長くなりましたが、赦すだとか赦さないだとか、個人への恨みなど、もはやどうでもよくなりました。それでも私はこの炎と運命を共にすると決めた以上、今は赦すことをしませんがね。赦してしまったら幸せになって、生命は枯れてしまうでしょうから。罰当たりは承知です。地獄行きも承知です。不幸も承知です。しかし、今は堕ちることを選び、自己を救済することを望みたいのです。

 

こんな愚かな人間も、天は憐れんでくださるのだろうか。そう信じることだけが、不幸な人間にとっての唯一の希望なのです。

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