「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる。」賢者のように、この言葉の解釈ができるのは誰か。
それは、わたしだ。すなわち、王の言葉を守れ、神に対する近いと同様に。気短に王の前を立ち去ろうとするな。不快なことに固執するな。王は望むままにふるまうのだから。王の言った言葉が支配する。だれも彼に指図することはできない。命令に従っていれば、不快な目に遭うことはない。賢者はふさわしい時ということを心得ている。何事にもふさわしい時があるものだ。
コヘレトの言葉 8.1-8
森に家をつくっている。まもなく、外観は完成しそうだが、この期に及んでも、毎日失敗ばかりである。木材を短く切りすぎて台無しにする。インパクトを打ち損じて窓ガラスに傷をつける。精密につくりあげていたものを壊してしまうと、己の技量に腹が立つ。気が摩耗してくると急いて無理をする。そんな時にかぎって、はしごから落ちる。幸い、大怪我にはつながっていないが、四メートル以上ある高所から落ちれば死ぬこともある。それでも気にも留めぬのは、半ば、投げやりになっているからである。不貞腐れ、自暴自棄となり、完全に悪意に気圧されているのである。
かれこれ家づくりも半年近く経ち、初動の勢いだけで、ぐんぐんすすめられる時期はとうに過ぎ去った。思うように進まず、顔が強張る時間も、前より増えた。無論ここでは、”己に知恵があれば”などという、浮ついた願いを言葉にするのはよそう。腐っても鯛だ。結局己にできることは、現代のこじゃれた考えで、自分に迎合することではなく、ひたすら力を信仰し、泥臭く進んで行くだけである。顔が強張っていようが関係ない。負の感情すべてを引き連れて、力強く進んでいくだけである。
2025.1.24