年の瀬だ。再び森にやってきた両親に、屋根張りを手伝ってもらっている。支えてもらう人がいるだけで、効率も精度も段違いに上がる。お陰で、何とか年内には屋根を張り終えられそうだ。
日が暮れてもヘッドライトをつけて働きつづける私を見て、両親はすごい体力だと驚きを隠さなかったが、私に言わせればこれは体力ではなく生命力である。人間は自然に呼応し生きていれば、自ずと呼吸が深くなるようにできている。呼吸が深くなれば免疫力は高まるし、気の巡りもよくなって力が湧き出るようにできている。逆に、一日中怠惰に過ごしていれば、呼吸は浅くなる。血液が酸性に傾き、風邪をひきやすくなるし、外に出ることや働くことも億劫になる。
自然を克服することで、人類は快適さを勝ち取ったが、自然を分断した瞬間でもある。昔の人がずっと生命的だったのは、自然に仕える形で生命をむき出しに生きていたからだ。分かり易い話、寒空をさまよう野良犬は、不幸であるが生命的である。
現代の幸福は、自然を克服した先に描かれる。だが、私はいったん逆戻りし、自然に仕えるなかで幸福に価値を見出すのである。仕えて合わすと書いて仕合せという。偽善にも傲慢にも屈しない、誰かとの優劣の間に生ずるものでもない、死とも不幸とも紙一重の、太陽にじかに与えられる幸福が、生命に直接、流れ込んでくるのである。
2024.12.29