生死丸ごと生きること[789/1000]

美しいものは強くいきいきと、エネルギーにあふれていなければならない。それがまず第一の前提であるから、道徳的であることは美しくなければならないことである。しかし、それは衣装を吟味したり、女風になることではなくて、美と倫理的目的とを最高の緊張において結合することである。

三島由紀夫「葉隠入門」

 

畑に流れる女の汗は美しい。労働のために引き絞られた緊張は、ひと仕事終えると、ほっとした一息とともに笑顔が大空に放たれる。私のような端くれものと違って、農家に嫁いだ彼女らは立派な生活者である。早朝から日暮れまで男勝りのエネルギーに溢れ、強くいきいきと働く姿は、私が真っ先に思い浮かべる、健全なる美しさであった。日焼けした農夫の顔や、すっかり馴染んだよく笑うための皺も、同様に美しい。彼らが道徳的といえるのは、法を犯さない善良な市民であるからというよりは、太陽を素直に浴びて、燦々と元気に生きているからである。

瑞々しい肌を”透明感がある”と表現するように、美しい肉体はかぎりなく透明に近づいていく。エネルギーに溢れた生活者は、肉体を持ちながら透明となるのである。この世を愛し、あの世を想い、生死丸ごと生きるのである。戦のない今日、私はそんな生活者になることを夢にみる。

 

2024.8.17

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