無力とは何もしないことではない。これまで苦労して築き上げたものを台無しにすることだ。[738/1000]

余に問う 何の意あってか碧山に棲むと

笑って答えず 心自ずから閑なり

桃花 流水 ヨウゼンとして去る

別に天地の人間に非ざる有り

 

李白

旧冬、私は森に身を隠した。書物を友とし、自然を愉しみ、世俗の関心ごとのいっさいを忘れ、この身の精進に励んだ。すくなからず、智慧と力を手に入れた。「閑」というには遠く及ばなかったものの、糧を得た魂は、この身の深くに湿潤した。そして今、精神修養の末に「閑」を求めよう。現代の喧騒のなかにいて、いい加減思い知ったことがある。虚無を相手取ることが、もっとも生命を蔑ろにする瞬間であると。ゆえに、己の魂は、常に深山を欲し、砂漠に渇きつづけた。まずは、無為に屈しないことだ。思い返せば、人生の淪落は、無力によって始まった。無力とは、何もしないことではない。己の信条、仕事、人間関係、遍歴など、これまで苦労して築き上げたものを、台無しにすることだ。足場を失えば、人間は真っ逆様に堕ちる。だから、二度と同じ過ちを踏まないよう誓うのだ。次こそは、己の力を信じると。だれも知らない、孤独の道を貫くと。

 

2024.6.26

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