死にたいという気持ちは、異常な社会に対する正常な気持ち[79/1000]

青森は南部町にいる。

静かな朝、ここで自給自足の暮らしをするTさんご家族と一緒に、コーヒーと、自家製アップルミントのハーブティーをいただき、今日は1日、一人外出させてもらうことにした。

 

Tさんご夫婦は、ほんとうに素敵で、すべてのお話に、体験と知恵が凝縮されている。ここにあるすべては1から作られたことを考えると、ほんとうに言葉では表現しきれない温かさがある。

 

しかし、どれだけいい場所にいても、一人の時間は必要になる。この世界にふれているかぎり、感情は常に生じるが、それが微細であればあるほど、私は一人にならなければ対処できない。

 

この微細な感情をほったらかしにしていれば、心のピュアな部分を覆い隠すように、一層、また一層と、未消化な感情が、蓄積されていく。

それがある一線を超えると、生きる気力を失って、全身がショートしたように、何もしたくなくなってしまう。

 

 

汗は酸化して、臭くなる。口内は酸化して、虫歯になる。血は酸性にかたって、病気になる。

同じように、感情もそのままほうっておくと、酸化して身体にダメージを与えるようになる。

 

ほうっておいて、いいことはあまりない。心に感じることがあれば、なるべく新鮮なうちに言葉にしたい。

 

 

社会で働けば、そんな生易しいことは言ってられず、自分の状態にかかわらず、朝になれば仕事にいかなければいけない。自分よりも、契約や、ルール、規律、慣習、他人、時間が優先される。

 

私は今、教員として働いていたときと比べて、かなり自由がきく。好きな場所にいって、好きな時に言葉を書いて、好きなことをして生きている。しかし、そんな今でも、こうして一人の時間は必要となる。

性格によるところはあるだろうが、心は呼吸をしていて、苦しくなっていたら、一人になって静かに呼吸をさせてやる必要がある。

 

 

そんなこと言ってたら、社会で生きていけないよ、という人もいそうだが、まさにこれが理由で私は社会で生きていけないなと思うようになった。

心の呼吸スピードはとてもゆっくりで、社会のスピードにはどうやっても追いつける気がしない。無理をして働けば、心は過呼吸になり、窒息死する。

 

 

死にたいという気持ちは、異常な社会に対する、正常な反応だと、とある精神科医が言っていた。

この視点はおもしろい。社会から見れば、異常にうつることも、視点の立場を変えると、すべては正常になる。敵だと思っていたものが、実は味方で、厳しいと感じてたものが、優しいものに一変する。

 

ちょうどそれは、自然と人間の関係にも似ている。

人は雑草を、邪魔な存在として刈り取ろうとするが、雑草は土地に必要だからはえる。虫も植物に必要だから集まっている。土砂崩れは、大地が深呼吸をするために起こる。

 

人間から自然を見れば、排除したくなるものや、忌み嫌いたくなるものも、自然からみればすべては正常な営みがおこなわれているに過ぎない。

 

一人になりたいという気持ち、逃げたいという気持ち、何もしたくないという気持ち、消えたいという気持ち、死にたいという気持ち、大雨に打たれたいという気持ち、波の音を聞きたいという気持ち、山で叫びたいという気持ち、布団にもぐって寝ていたいという気持ち、帰りたいという気持ち。

これらも、ぜんぶ、ぜんぶ、本当は正常なのだと思う。

 

お酒に溺れるとか、甘いものを爆食いするとか、タバコを吸うとか、ジャンクフードを大量に食べるとか、一見、不健全にみえることも、ほんとうは不健全な社会に対する、健全な反応なのかもしれない。

不自然に振る舞ってしまうのは、不自然な世界に対する、自然な振る舞いなのかもしれない。

 

 

弱って自信をなくすと、人は自分を異常者だと決めつける。

しかし、そんなときは雑草を見て思い出したい。すべては、必要にして起きている。心が呼吸をして、元気になるためにある。

 

 

なんか、マイカーハウスに、毛虫が30匹くらいくっついてて、すんごいことになってた(笑)

きっと、すぐ隣の木から大量に、落ちて来たんだろう。これもまた、必要にして起きているのか?うーん、分からん!

 

青森でも南部町は、標高が低いためか、今日はけっこう暑い…!

きっと日本の南のほうも、まだまだ暑いのかな。皆さま、9月になりましたが、引きつづき、水の補給と、塩をなめることお忘れなく!

 

ではまた明日!ばいばい!

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