東京で野宿を2日間試みた感想!お金をかけないと眠れないなんておかしいだろう[8/1000]

新宿のバスターミナルで朝を迎えた。これから小淵沢に帰還する!

東京でやり残したことはたくさんある。隅田川の河川敷にあると噂されるホームレスのモバイルハウスをこの目で見てみたかった。彼らは都会のゴミを、都会の幸として生活に再利用しているという。自給自足の参考にするというより、そこに隠された哲学のようなものを肌で感じたかった。東京へ行ったのは、友人に会うことが目的だった。しかし今、ホームレスから学びたいという気持ちも想像以上に強かったことに気づいて自分でも驚いている。

 

この2日間の野宿について振り返る。1晩目は下北沢の路上で、2晩目は新宿のバスターミナルの傍で野宿した。

この2日間は、ほとんど眠れていない。人の減る深夜に寝て、人が増え始める明け方に起きると、ほとんど眠る時間がないのだ。眠っている時間も、警戒は解けないし、地面も固いので身体が痛くなって、眠っているか眠っていないか分からないような状態が続く。「よし!生きて朝を迎えたぞ!」という喜びも束の間、まともに眠れたのが1時間か2時間しかなかったことに気づいて愕然とした。

これが都会野宿の難しさだと再認識した。ただ夜を越すことと、しっかり眠ることは全く別物だ。夜を越すだけなら、やる気次第で誰でもできる。終電を逃してノリでやってしまう人もいる。しかし夜を越すだけでは、私のように身体がもたない。1日や2日はなんとかなっても、それ以上は身体を壊す。これでは、生活として成り立たないし、生き延びることもできない。つまり人間の野性種としては絶滅する。

 

熟練した野宿は、睡眠の質を伴うのだと思う。私はまだその領域に達したことがない。上野公園の芝生の上は、気持ちよくて快適に眠れそうだったが、警備員に追い出された。その後向かった、幹線道路の高架下は、トラックの騒音と排気ガスで、最悪だった。

誤解をしないでほしいが、私は都会野宿のエキスパートになりたいわけではない。純粋に、地球上に生きる一匹の動物として、東京の大地で眠りたいのだ。お金をかけないと眠ることができないなんておかしい。アスファルトに覆われ尽くされ、人が数えきれないほど行き交う東京は、難易度マックスだが、ここでの野宿を経験できれば、出来上がった社会の上に別の世界を見られるような気がした。そして今よりもさらに自由になれるような気がした。

都会にはたくさんのホームレスがいる。彼らは快眠できているのだろうか。何十年とホームレスを続けている人もいるという。野宿だけではなく、生活の大部分が熟練に達しているだろう。今こうして、まともに眠ることすらできずフラフラになっている私は、彼らの技術や知恵に尊敬の念を抱かざるを得ない。

 

下北沢の野宿で朝を迎えたとき、ホームレスらしき人物を見つけた。時刻は朝の4時。

両手いっぱいに抱える袋の中にはアルミ缶が一杯に詰まっており、彼はゴミを次々と手際よく漁っている。集めたアルミ缶は、お金に換えるのだろう。私はホームレスの仕事と聞いて、一番にこれを思い浮かべる。

とても綺麗で清潔な格好をしているので、ぱっと見はホームレスに見えない。しかし私は、坂口恭平さんの本を読んで、ホームレスの中には、綺麗な格好をしており、普通の人と見分けがつかない人もたくさんいることを知っていた。異質な空気から、私は彼がホームレスだと確信した。(違っていたらごめんなさい)

何か学べることがあるかもしれないと思い、後を追うことにした。彼はきびきびとしていて、動きに一切無駄がない。「東京の人は歩くのが速い」というが、彼は東京の人からみても、異様な速さだったと思う。彼はもはや「東京の人」ではなく「多摩川の人」なんじゃないかなんて考える。私は彼がまったく別の世界に生きている人間に見えた。

私が必死に後を追うが、少しずつ距離が離されていった。彼はその間も、周辺のゴミポイントを確認しているのだから、とにかく歩く速さが異常だった。10分くらい追いかけた後、曲がり角で彼を見失った。話しかければよかったと少し後悔した。1つ分かったことといえば、彼は足腰が丈夫で、スタミナがあることくらいだった。それしか分からなかった。だが、彼がもし本当にホームレスなら、家がなくても健康に生きている人は本当にいるということになる。その可能性が目の前の人間から感じられただけでも、少しワクワクした。

 

次に東京に来たときは、もう少し深くまで踏み込もうと思う。今はとにかく眠りたい。自然に帰りたい。

でも東京は面白かった!楽しかった!ありがとう!

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