俺はすべての存在が、幸福の宿命を持っているのを見た。行為は生活ではない、一種の力を、言わば、ある衰耗をでっち上げる方法なのだ。道徳とは脳髄の衰弱だ。
俺は、それぞれの存在が、様々な別の生活を借りているような気がした。この男なんか為る事が当人にも解らない、奴さん天使である。この家族ときたら、乳離れもしない仔犬どもの一団だ。俺は人々の眼の前で、奴らの別の生活中のある生活の瞬間を、大きな声で喋ったものだ。―こうして、俺には豚が可愛くなったのだ。
ランボオ, 「地獄の季節」
何千何万の読者がいなくなろうと、自分一人に必要とされるのなら、書きつづける甲斐はあった。だが、自分にすら愛想を尽かされたのなら、いったい誰のために書きつづければよいのだ。ああ、脳髄が衰弱し、魂は奪われる。道徳が正義を振りかざし、己は今にも殺られそうだ。道徳ほど善人の面構えをして、人間を惑わし煩わせるものは、この世に他とあるだろうか。道徳よ、お前が偽善でないのなら、いったいお前はどうしてこうも、人間を昏睡させ、忘却の淵に叩き落すのだ。己には力がいる。脳髄に風を吹き込む、野性の力。宿命たる幸福は、いつも人々の背後でほほ笑んだ。己はこいつを退ける力が欲しい。おお、魂が助けを呼ぶ。己はついに、脳天を雷槌に打たれることにしか救いを見出せなくなる。これは神の最後の情けか。力よ、来い!己はもうここにしか救いを見出せぬ。
2024.4.17
コメントを残す