「毎日生きる」というとてつもない偉業[111/1000]

いつもどおり始まろうとしている今日は、何回目の今日だろうか。

ふと気になり調べてみると、今日が10,482日目だということが判明した。なんと1万日を超えていた。驚いた。人は27歳、4カ月、16日で、生誕1万日を迎えるらしい。(13歳で5000日、54歳で2万日を迎える)

私を含め、この事実を知らない人間は、何気なく1万日目を迎え、そのまま通り過ぎてゆく。しかし、毎日つづけることを課している今の私(書くことは今日で111日目)にとって、10,000という数字はかなりでかい。

 

「今日を生きる」ことを1万日以上つづけてる。今日を生きることなんて当たり前だから、毎日続けられて当然だと思う人もいるかもしれないが、私にとっては生きることも、つづけることの1つ。

もし、生まれたその日から、1日を始める度に、日めくりカウンターをめくって、1,2,3…から始まって、100を超えて、1000を超えて、10,000を迎えたら、きっとこの数字の意味はまったく違うものになっているはずだ。

皆、何気なくここまできているが、不慮な事故や病気を患うことなく、今日を生きて迎えられていることは、とてつもない偉業だ。今朝、10,482日目を始めようとしていた私は、数字の最後の一桁に今日の自分が乗っかっていることを想像して、誇らしい気持ちになっていた。

この瞬間も、皆、リアルタイムで記録を更新し続けている。こんな当たり前のことにも、たまには感動していたい。

 

精神修養 #20 (2h/50h)

静寂の中に呼吸だけがある。体感では5分くらい呼吸に意識を置きつづけられていた。時計を見て実測しているわけではないので、実際は3分程度かもしれないし、もっと長いかもしれない。ただ分かるのは、この50時間の瞑想の中では、間違いなく一番長く、呼吸と共にいられた。

背筋を立てて瞑想していると、背中の筋肉の一筋が痛みを帯び始め、少しずつ少しずつに背中が丸まってくる。それは自分が気づけないくらい、微量な変化で、ある程度背中が丸まって、ようやく変化に気づける。

大げさだけれど、微量な変化に気づけず、気づいたら大きな変化があるのは、季節の移り変わりに似ている。

 

背中を丸めることで、自分の一部を封じているように感じた。ちょうど、昨日のブログで書いた「蓋」をして閉じ込めている話。痛みの中には、痛みを感じたい自分がいる。

そう考えると、全身にあらゆる部分に、自分の可能性が眠っているように感じる。(封じ込められている)。

瞑想をして全身に気づいている間に自由を感じるのは、全身の細部に宿る封じられた自分を解放しているからなのかもしれない。

 

「2021年6月13日」に10,000日を達成していたことを知って、この日に何をしていたか探ろうと試みたが、正直こんなことをしても意味がないと思った。

過去にどんな偉業を成し遂げていようと、平凡な今日に勝る価値はない。書くことに、瞑想、読書、ピアノ、毎日つづけることを始めてからは、今日の重みがさらに増した。1000日続けようにも、カウントを刻めるのはやはり今日だけで、今日やることでしか、何も成し得ないのだと感じている。

 

そんな111日目の今日も、相変わらず平凡な言葉しか残せなかったけど、こんな平凡な言葉でも1000回積み重なったら、私はきっと価値を感じられる。

今日は平凡でいい。そもそも、今日は平凡なものなのかもしれない。

すかすかな内容なのは、すかすかな日々の生き写しのようで、大したことない自分に恥ずかしさもおぼえるけど、隠すことも繕うこともなく、このまま投稿。

そのまま、そのまま、そのままを残していく。

【0円で生きていける拠点づくり】

森の中に瞑想小屋を建て、家を開放するのが直近にやりたいことです。

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