命の重みを感じることと、今日を重たく生きることは違う[69/1000]

北秋田市にいる。

朝起きたら、ちょうどいい大きさの池が近くにあったので、3周ほどぐるりと散歩した。

 

今日もずいぶんとスズムシやコオロギの鳴き声がよく聞こえるなぁと思っていたが、思えば、セミの鳴き声がいっさい聞こえなくなっていることに気づいた。

セミの鳴き声が聞こえなくなったのはいつからだろう。気づかないところで、時間は流れている。暦の上では8月はまだ5日ほど残っているが、もうすっかり秋だなと感じた。

 

夏が終わった、と思うと寂しさもあるが、暑さを生き切ってやったぜという妙な達成感もある。

今年の夏は、よく塩を舐めて、よく水を飲んだ。昨年は、引きこもって家の中で過ごしていた。それと比べると、今年は太陽の下で、いい汗を流して生きられたことは大躍進だった。

 

あと夏を何回迎えられるだろうかと考える。

80歳くらいまで生きるものだと、人は勝手に考えるけど、来年を生きている保証すら、本当はどこにもない。

 

繰り返しつづく毎日は、永遠ではない。そんなことを、こうした季節の変わり目に、強く実感する。

セミは亡骸となった。風も冷たくなって、葉も次期に色づいていく。季節を越して、人は1つ歳を重ねる。この瞬間も命は終わりに向かって少しずつ進んでいる。

 

・・・なんて書くと、朝から少し悲しい気持ちになっちゃうなぁ。

でも、気づくから大切にできることもある。今この歳を生きる自分は、今ここにしかいなくて、もう後から取り返すことはできない。

 

あんまりそれを考えていても、今日を生きるには、命が重たくなりすぎてしまう。だからこんなことは、毎日考えることじゃない。

でも、何気なく生きる毎日は、重みに気づいていないだけで、本当は重たいものを抱えながら生きている。

 

それを自覚して生きるのは、とても大変すぎるけど、季節の変わり目になると、私はこうして確認してしまう。

でも、自覚するのは、本当にたまにでいいかなって思う。

 

ここにある命の重みを感じることは忘れたくないけど、今日を重たく生きることが必要かと言われれば、それは微妙に違うような気がする。

重たく生きるより、もっとハッピーに、もっと軽やかに、もっと遊び心をもって、楽しく生きていたい。

 

必要になれば、真面目な我々は、勝手に重みを感じるだろうから、基本的なマインドセットは、今日をいかにノリよく楽しく生きるか!でいい気がする。

思えば、最近すっかり遊び心がなくなってたぞ・・・オレ!元気があるとかないとか、どっちでもいいから、もっと楽しもうぜ!

 

 

そんなわけで、私はこれから青森に向かい、いちおう、旅の最終地点に到着します!

明日以降は、特に人に会う予定もなく、ノープランになるので、もし遊びに来いという方がいれば、ご連絡ください!

 

特に連絡なければ、ぼちぼち、空き家での拠点づくり始めようかな~って考えてます。

でも一度、実家に帰って、親の顔も見たい。

 

さてさて、涼しくなってきたことだし、どんどん遊んでいくよ!

ではまた明日!ばいばい!

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