心が傷ついた人たちを迎えた、森のイスキアにきて感じたこと[72/1000]

青森県弘前市、岩木山のふもとにある、森のイスキアにいる。

 

森のイスキアは、佐藤初女さんという方が、社会で傷ついた人を受け入れていた場所で、著書「いまを生きることば「森のイスキア」より 」では、

学校や社会、家庭のなかで心が傷ついた人たちが多く訪れ、著者自らが心をこめて作る手料理で、元気を取り戻して帰っていくところ

と紹介されている。

 

私が佐藤初女さんのことを初めて知ったのは、1年前、愛媛の離島に住む友人を訪ねていたときで、「自然の中で人を受け入れる家みたいなのをつくりたい」と話したときに、友人から初女さんという人物と、初女さんの「おむすびの祈り」という本を紹介してもらった。

 

初女さんのつくった、おむすびで自殺を踏みとどまった青年の話は有名だ。

 

初女さんはお米が呼吸できるように、強く握らず、時間をかけてゆっくりとおむすびを握っていたという。

お米を炊くときは、号数ではからず、目の前のお米を見て、お米の量に合わせて、水を入れる。

 

握ったおむすびも、ラップに包んでしまえば、お米が呼吸ができなくなってしまうので、タオルに包んでいたそうだ。

塩と梅の簡素なおむすびだったようだが、初女さんさんのつくったおむすびは、お米が口の中で自然に広がり、とても美味しく、食べると元気になったという。

食べものをとおして、初女さんの思いやりを受け取っていたことは、想像しなくてもわかる。

 

初女さんは、2016年に他界されて、今、森のイスキアには、誰も住んでいない。

 

雪の重みに耐えられなかったのか、木のデッキの一部が壊れてしまっていて、お客さんが来たときと、帰るときに鳴らしていたという鐘も、今はしまわれて姿が見えなかった。

しかし、草木は手入れされて、お庭も、家も、綺麗に整っている。今も誰かが手入れしているらしい。

 

私はここにきて、神聖な空気を感じている。初女さんはもういないが、初女さんの精神は、今の草木の感じや、家の感じとなって、ちゃんとここに残っているような気がするのだ。

初女さんが、実際に暮らしていた場所に、自分の足で立っていると、身も心も引き締まって、ちゃんと生きようと思える。

 

それでいて温かい。

「森のイスキア」という看板をみたとき、苦しくなって、お前は価値のない人間だと自分に心ない言葉をかけてしまったとしても、ここに来れば、すべてを赦せるような気がした。すべてを赦してもらえるような気がした。

そんなすべてを受け入れてくれる温かさを感じて、涙が出そうになった。

 

タイムリーなことに、ブログを書いていたら、森のイスキアの目の前にある、別荘に住んでいるという、おじちゃんがやってきた。

優しい目をしたおじちゃんで、話を聞くと、夏になると週に1,2回、ここに涼みにくるという。

 

初女さんのことを色々聞いた。

初女さんは話を聞くのがとても上手な人だったという。有名になってからは、全国から引っ張りだこで、札幌やら仙台やら、あちこちに飛行機で講演にいって忙しくされていたらしい。仙台のお土産には「伊達政宗のせんべい」をもらったと聞いて、リアルな話だなと思った。

 

今は静かなこの森のイスキアに、バスが2台も3台もきて、50人規模で講演もやっていたようだ。静かに人を受け入れることを想像していたが、有名になってからは、けっこう賑わっていたようだった。

 

冬の豪雪で、家が何度も壊れて、壊れる度に有志の人みんなで直したという。

雪は4m近くある白樺の木を覆うくらい積もって、とても生活は大変だから、初女さんは冬になると弘前市の街に降りて生活されていた。

 

夏でも、予約がないときは、初女さんは森のイスキアを不在にすることもあったようで、予約なしに訪れて、初女さんに会えなかった人は、このおじちゃんが声をかけて、お風呂に入ってもらったり、泊まってもらったりしていたようだった。

 

なんと、このおじちゃんは、第2の森のイスキアみたいなことをされていたのだな、と驚いた。

いい人や、いい場所には、優しさが集うのだと感じた。

 

 

もっと話を聞いていたかったが、おじちゃんは用事があるので、市街のほうに帰ってしまうという。

風呂ぐらい入れてやりたかったが・・・というおじちゃんから、オレンジジュースと野菜ジュースをいただいた。

 

「いえ、私はそんなつもりで来たんじゃないですよ」と感じながらも、きっと初女さんの近くで暮らしていたこのおじちゃんは、こんな風に人をもてなすことが、自然になっているのだなと思った。

 

おじちゃんが帰った後、また森のイスキアで一人になった。

 

お腹がちょうど空いてきたので、勝手ながら、玄米を炊かせてもらうことにした。

思えば、私も、お米を炊くときは、計量カップを使わず、号数をはからない。

 

お米を食べたい分だけ鍋に移して、お米の量に合わせて、食べたい堅さになるように、水を調節している。

私自身、こんな風にお米をたくようになったのは、初女さんの影響からだったことを思い出した。

 

ああそうか、今ここにいる私はすでに、初女さんの精神を1つ受け継いでいたんだなぁ、しみじみと感じた。

今、森のイスキアは、誰も住んでいないけれど、森のイスキアはまだ生きている。

人の温かい心は、姿や形を変えて、また次の人へと受け継がれていく。

 

 

さあ・・・!

私はこれから、一昨日、青森の野で採ったクレソンと一緒に、大好きな、玄米をいただきます!

 

というわけで、また明日!

ありがとう!イスキア!

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