強い心持ちであるための努力【インド紀行⑬】[628/1000]

美しいものを美しいと感じるには、それだけの心の素養と下地がいる。山頂からの景色が美しいのは、一点に向けて高められた登山者の忍耐と期待が世界のこまごまとした美を受け入れる感性を爆発、解放させるからである。

 

逆にいえば、心の土壌が芳しくなければ、美しい世界が目の前にあっても、その美しさに気づけないことがある。まさに、今の私がそうであった。世界の陽が沈みかかる中、眼前の広場では牛が顔を突き合わせて、頭をこすりつけて戯れている。広場の脇を抜ける小道からは、サリーを着た中年女性が歩いてくると、道端であぶらをうっていた二匹の子ヤギを、追い立てて家に帰してやろうとする。日本では見たこともない後頭部の突き出た青い鳥たちは、申し分のないほどの数と声量で歌をうたっている。この素朴な夕暮れのひとときは、毎日繰り返される、ありきたりな生活美であった。どこにでもありそうだけれど、ここにしかないものであった。

私たちは、不安と怖れと無力を手放して、力強い心持ちをもつよう努力しなければならないのは、怠惰のために世界の美を看過するほど、時間は寛容ではないからである。

 

バラナシに来たのに、ガンジス川を拝むこともないまま病床につき、安静にしているうちに、明日がバラナシの最終日となった。あのデリーで過ごした、1ヵ月にも感じられるような熱狂な日々と、同じ日数が寝ているだけで過ぎてしまったとは、にわかに信じがたい。私は明日、なんとしてもガンジス川に感動したい。そのための力が試されている。心の下地、感じる力、人間に与えられた神の感覚器官が試される。

繰り返し覚えておこう。心持を強く。これは努力するしかない。

 

2024.3.9

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