幸せは今ここにしかないんだ。幸せは今ここにちゃんとあるんだ。[30/1000]

大好きだった柿崎を離れて、妙高山の麓に来た。

森にいる。空気を楽しんでいると、雨が降ってきたので車の中に避難した。

 

天井をポタポタと雨が打つ。

音が大きかったり小さかったり、雨粒の大きさがなんとなく分かる。

 

海にいるときは雨が好きじゃなかったけれど、森にいるときは雨が心地よい。

外を眺めると、樹木も葉っぱも潤っているのが分かる。雨の日にしっかり潤えば、晴れた日の風に気持ち良く揺れることができる。

 

森で雨を歓迎するのは、私だけではない。

ここにいるすべての命が、恵みの雨を静かに喜んでいる。

 

樹々を見ていると、人にも潤いは必要だといつも思う。

「心にも潤いは必要」なんてありきたりな言葉だけれど、

 

ありきたりでも、潤うことを大切にしなさいと言う人がいないと、

頑張り屋の人たちは、いつも身体を動かそうとして、いつも明るく振る舞おうとしちゃうでしょ。

 

たまには、雨粒をぼーっと眺めて、深く沈んでみよう。

白湯でも、コーヒーでも、紅茶でも飲みながらさ。

 

私は今日は、雨の中、のんびりとオカリナを吹いているよ!

オカリナの音は雨音にもよく馴染むんだ。

 

柿崎 最後の釣果

最近は、今を生きる感覚を、少しずつ掴めてきた気がする。

今を生きる感覚が分かってくると、保証のない未来や、過去に縛られ過ぎていた自分に気づく。

 

 

「将来なにがしたいですか?」って子供も含めて、色んな人に聞いてきた。

でも「今何がしたいですか?」という問いのほうがずっと大事なんじゃないかと思うようになった。

将来したいことは一緒にできないけれど、今したいことなら一緒にできる。

少しずつ年齢を重ねて、将来=今という感覚になったのも、そう感じる理由の1つかもしれない。

 

 

「あの頃は楽しかった」と感傷に浸ることも悪くない。

でも、今この瞬間が楽しいことのほうがずっと大切だと感じるようになった。

昔の自慢話ばかりする爺ちゃんがいたから「爺ちゃん、本当は今も、釣りやりたいんでしょ。今から一緒に釣りしようよ」と柿崎では、よく誘った。

「昔は良かったなぁ」と思い始めたら、それは今この瞬間を楽しむことを放棄している合図だと思う。

爺ちゃんになっても、婆ちゃんになっても今は楽しめる。死ぬまで今は楽しめる。

 

 

「いつかお会いしたい」と言われた人には、いつまでも会えない気がする。

いつかは存在しない。今しか存在しない。

「いつか遊ぼう」という言葉もとても虚しい。

今から遊ぼうと言いたい。

 

 

元気なときも、元気じゃないときもある。

どちらの私たちも最高だけれど、ここでもやっぱり私が興味があるのは、今!元気かどうかだけ。

昨日元気がなかったとか、1年間鬱だったとか、どうだっていいのだ。

今この瞬間、君が元気だったら、もうそれで最高なんだ。

 

 

私が引きこもる前、日本を歩いて横断してみたいと思っていた。

「コロナもあるし、冬を超したらやろう」みたいなこと考えてたら、半年弱の間に、日本を歩いて横断したいという気持ちはどこかに消えてしまった。

今ある気持ちが、これからもあり続ける保証はないことを知った。

今ここにある感情は、今だけのもの。

当たり前のようにいてくれている大切な人とのひと時も、今だけのもの。

 

 

今がすべて。

今にしか生きていなくて、

今にしか行動できなくて、

今にしか感情を感じられない。

幸せは、今ここにしかない。

 

 

今やらない理由とか、幸せじゃない理由とか、作ろうと思えば、たくさん作れちゃう。

でも、今やれる理由とか、幸せな理由も、作ろうと思えば、同じくらいたくさん作れる。

 

どこに目を向けるか、だけ。

幸せは、今この瞬間も、ちゃんとここにあるよ!

 

では、今日はこの辺りで!これから、オカリナの練習再開しよう~。

それから、とっても身体が冷えてるから湯船に浸かりたい~!

ではまた明日!ばいばい!

【0円で生きていける拠点づくり】

森の中に瞑想小屋を建て、家を開放するのが直近にやりたいことです。

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