インド1日目 デリー
ボロ宿に着き、部屋に案内されると「枕カバーはまだ替えていない。クリーニングをしているので、30分後に取り換える。」と少年は説明した。その間、僕は街を散策することにしたが、念のため、既についている枕カバーの左端をつまんで、特徴的なシワを作っておいた。これで、枕カバーを替えたかどうかは、すぐにわかる。
2時間後、再び宿に帰ると、枕カバーにつくったシワはそのままだった。僕は少年のもとへ行き、「枕カバーは替えてくれたかい?」とたずねてみることにした。少年は爽やかに「ああ替えたよ」と返事をする。だが、僕には、少年が枕カバーを替えていない確信があったから、「本当か?」と念を押してみることにした。
「本当か?」
「本当だ」
「本当か?」
「本当だ」
3度念を押したとこで、少年は折れた。「いやまだだ。今から替える。」と少年は笑いながら言うと、軽やかに動き出して、クリーニング済みの枕カバーを手に取ると部屋へ向かった。僕は少年から滲み出ていた、妙な人間らしさがたまらなく好きになった。
***
デリーの初日の全容をすべて記すのはとても難しい。話に聞いていて警戒していたものの、法外なリクシャに300米ドル要求され、ふざけんなとあやうく殴り合いに発展しそうになった。隣にいたインド人が仲裁し、何とか2000ルピーで話はついたが、これでも日本円で3400円だ。20ルピーや30ルピーで送迎してくれるリクシャの相場を思えばかなり法外に痛手を被った。
そもそも、こんなことになってしまったのは、会っても間もないインド人のおじさんに心を赦してしまっていたからだ。道端で話しかけられたときは警戒したが、彼は3日前にアグラからやってきて、自分も同じようにデリーを観光していると言うじゃないか。観光客を相手に金をむしり取ろうとする商売人に気を張っていたため、この言葉は私にかなり利いた。「お前は俺のゲストだ」とチャイをご馳走してもらったときには、完全に心を赦してしまった。とりわけ、インド人は、ゲストに料理を振る舞う文化があると本で読んでいたので、これは純粋な交友だと思ったのだ。
彼に連れられて、寺で祈りを捧げた。問題のリクシャはこの後だ。おじさんは、すぐそこに停まっていたリクシャを捕まえると、なにやら現地の言葉で話をはじめた。僕はこのとき、ローカル価格で運んでくれるように交渉してくれるものばかりと信じていた。そして、何より僕は”ゲスト”だ。おじさんに導かれるがままに旅をすることにした。リクシャのおやじも最初は人が良く、3人の旅はかなり盛り上がったように思われた。(今思えば、連れていかれた半分は、お土産屋と旅行会社であったが、ここで一銭も払わなかったことだけは唯一の英断であった。)
2時間ほど巡った後、疲れたので宿に帰ると伝えると、ついにリクシャのおやじが化けの皮を剥がした。急に横柄な態度になり、「これだけ走ったんだ、300ドルよこせ」と人が変わったように迫ってきた。僕はてっきり、ローカル価格を交渉してくれているものばかりと思っていたし、なんなら、ホストのおじさんが払ってくれるかもしれないとさえ思っていた。完全に不意をつかれた僕は、このときはじめて騙されたことに気づき、自分の落ち度を呪った。300米ドルとは、4万5千円である。今回の旅全体の予算の約半分だ。そんな大金を失う訳にはいかない。
「ふざけんな、多く払ったとしても400ルピーだ」と無理やり受け取らせようとすると、ディスイズナッシングと跳ね返される。無理やり座席に金を置いて降りようと思ったが、出口側にはホストのおじさんが乗っていて、どいてくれと言っても動こうとしない。殴るぞと脅して来る運転手に、ホストのおじさんは「ノーファイトノーファイト」と仲裁に入り、お願いだから2000ルピーを払って、この場を収めてくれと僕に懇願した。それでもしばらくは納得いかなかったが、ついに僕の方が折れ、2000ルピーを殴りつけるとリキシャから飛び降りた。日本円で約3600円である。貧乏旅の初日にはかなりの痛手であったが、やむを得なかった。
***
この話を振り返ると、いくつか疑問点が湧いてくる。
一つ目に、二人の男たちはグルだったのか。僕はこれは違うと思っている。ホストのおじさんは、どこに行ってもローカル価格を交渉してくれたし、喧嘩に発展しそうになった時も、本気で心配して止めてくれているように見えた。ただ、彼らは他人でも、同じ界隈のインド人だ。観光客からなら金をむしりとってもいいだろうという、共通認識はあったに違いない。2000ルピーは明らかに相場ではないが、相手が観光客ならば妥当なのである。
二つ目に、このホストは善意であったか。実はこの話にはまだ続きがある。2000ルピーを払ってリキシャから下りた後、ホストのおじさんに別れを告げると、200ルピーでもいいからチップをくれと要求してくれるではないか。待て、お前はフレンドだと言った。どうして友達に金を払う必要がある。とすっかり疲弊した素振りを見せると、さすがにホストのおじさんも同情し、「オーケーオーケー」とハグをしてどこかへ行ってしまった。はなから金目的だったのか、それとも本当に交友目的だったのか分からない。結果的にホストのおじさんに金は払わなかったが、最後の最後に疑問が残る形となった。
今日の出来事はすべて自分の落ち度である。僕はすっかり落ち込んだが、インドの入国料と考えれば、2000ルピー程度で済んだのは幸いであった。デリーの初日にタイトルをつけるなら、「人間が信じられなくなり、人間が信じられる国」だ。後者の”人間が信じられる”という部分についてはまた明日書こう。では。
2024.2.29
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