変わりたくない気持ちは、過去を清算するための自浄作用

変わりたくない気持ちは、言い換えれば、失いたくない気持ちだ。我々には失いたくない何かがある。

大切な人との時間、安全な場所、快適で便利な生活、幸せなひと時、これまで大切にしてきた信念がきっとそれにあたる。

 

しかし同時に、変わりたいと思っている。変わりたいとは、言い換えれば、手に入れたいという気持ちだ。

まだ行ったことのない場所に行きたいとか、やったことのないことを挑戦したいとか、少し危険なことをしてみたいとか、傷ついて人生の酸いも甘いも感じたいとか、自分を変えたいとか、そんなもの。

 

この矛盾は、時に私たちを混乱させる。どれが本当の自分の気持ちなのか分からなくなる。

しかし、「どちらも」嘘偽りのない自分の気持ちだ。安全な場所で変わらぬまま生きたいという気持ちも、少し危険な場所に踏み入って変わりたいという気持ちも、どちらも自分が感じていることだ。

 

そして覚えておいてほしい。

変わりたくないという気持ちも、変わりたいという気持ちも、何かを成し遂げるために生まれているということを。

 

どちらかが善で、どちらかが悪ということはない。変わりたくないと思う自分を責める必要もなければ、変わりたいと願う自分の足を引っ張る必要もない。そこにはただ目的がある。

それぞれの気持ちが何を意味するのか、ここが深く問う場になることを願って、記事を書こうと思う。

 

 

1 変わりたくない気持ちは自分を抱いてやるためにある

変わりたいという気持ちは、心を清算するための、自衛・自浄作用だ。

変わりたくないという気持ちは置いてきぼりにされていた自分を迎えに行くためにある。

 

変わりたくない気持ちは、「変わる前に達成したいことがある」から変わりたくないのだと、私は思っている。

人に甘えることかもしれない。思いっきり泣くことかもしれない。ずっと我慢してきた大好きなことを、好きなだけすることかもしれない。親との和解かもしれない。過去と向き合うことかもしれない。

それらを浄化するための、自浄作用として、変わりたくないという気持ちは現れる。

 

私は1年近く、鬱で引きこもっていたことがある。引きこもりながら、「早く外に出なきゃ」「変わらなきゃ」と日々焦燥感をおぼえていた。

しかし今思えば、私は引きこもりながらも、ずっと我慢してきたことを清算していただけだった。それらを清算したとき、鬱は自然と消えていった。

 

我々は、人生のどこかで、帳尻を合わせている。無理をすれば、どこかでツケを払う。

それは、節制のない食生活を繰り返しているうちに、血が汚れて、病気なって現れるのと似ている。怒りや悲しみを抑え続けて真面目に生きた結果、鬱という形で表面化するのと似ている。

我慢してきた何かが大きければ大きいほど、その置き去りにしてきたものを、埋め合わせたいと思うときがくる。

 

変わりたくないと思うのも、その1つだ。変わる前に、成し遂げたい何かがある。

それは長年「本当はこうしたかったけれど、我慢してきたこと」なのだと思う。世間体や良心や常識、損得勘定に押し殺してたものだと思う。

 

人生のどこかのタイミングで遅かれ早かれ清算されていく。経験すべきことを経験していく。やりたいと思っていることも、長い目で見れば、いつかは形になっていく。

だから、「変わらなくちゃ自分はダメになる」と自分を脅迫する必要もないし、焦る必要もない。

 

大事なのは、変わりたくないという気持ちを抱えている今の自分が、本当はどうしたいのかを汲み取って、それを思いっきりやることだと思う。

私が鬱のとき、鬱になったのは意味があると、友人から言われた。正直、鬱状態の私にはそんなことは到底信じられなかった。しかし、今では鬱には目的があったことを知っている。私の場合は、両親との関係性と、長年封印してきたゲームが好きだという気持ちだった。

 

遠慮しなくていい。変わりたくないという気持ちを否定しなくてもいい。変わりたくないのなら、変わる前の今この瞬間の自分を、思いっきり演じるのだ。

 

2 変わりたくない気持ちの奥にある変わりたいという気持ち

変わりたくない気持ちの裏で、本当は変わりたいと思っている。

変わりたいのなら、変わってしまえばいい。大丈夫、あなたはそれでも幸せだから。

 

変わりたくない自分の任務を成し遂げられたとき、変わりたいという気持ちの存在を自然と認められるようになる。

今はそんなこときっと想像もできないし、したくもないだろうけれど、それでいい。

 

変わりたくないという気持ちは、「自衛・自浄装置」のようなものだった。ずっと我慢していた自分を演じられたとき、もう一度、自分の内に自然な流れが起こる。変わりたいという気持ちは「流れ」そのものだ。

 

流れは本能であり、命の渇望であり、魂の叫びだ。鼓動を静かに打ち続ける心臓のような力強い生命力そのものだ。

だから直感で分かる。この変わりたいという感覚を辿った先には、自分の魂の成長があり、運命が開けていくことを。なんとなく自分を大切にできる生き方なのだと。

 

変わりたいという気持ちを認めるのは、怖い。

今の自分、今の時間、今の環境、今の生活、今の交友、今の家族、今のパートナー、大切にしてきた信念、何かを失ってしまうかもしれない恐怖に駆られる。

 

私は教員を辞めてから、定職に就かず、お金のない暮らしを数年続けてきた。いかにお金をかけずに幸せになるかを常に考え続けてきた。そして、お金をかけずとも幸せを感じられる体質になった。

そんな私だったが、森に家を建てて暮らしたいという夢のために、お金が必要になった。お金を稼ぐことには、これまでの自分の生き方の真逆を行くようで、強い抵抗があった。

 

しかし、一歩踏み出してみると、魂に刻まれた自分は変わらないことを知った。憂いはあれど、幸せは変わることなくここにあることを知った。

生きていくうちに、人は変わる。ただそれは忘れてしまうという悲観的なものではなく、魂が成長したという楽観的なものだ。魂に刻んだことは忘れない。忘れたくない。

だから失いたくないことがあるのなら、そこに本気でぶつかるしかない。魂に刻むことが唯一、未来に連れていく方法だ。

2020.2.29 旅の動画更新!

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