感動できない?ちっぽけなことにだって感動していいのだよ

どれだけ俗に染まろうと、感動する心だけは忘れるな。

美味いのか不味いのかはっきりせず、無表情で食事をする虚しいことよ。美しい景色が目の前に広がっているのに、スマホを眺めている悲しいことよ。

感動する心は初心だ。初心忘るべからずと言うように、初心は忘れやすいものだ。

しかし初心は思い出せるものでもある。初心でいれば、いつも感動はここにある。どうせなら毎日感動しようぜ。他人がつまらなそうにしていることにも、感動してしまおうぜ。

その方が、毎日楽しいだろう。

 

感動できない心とおさらば

ちょうど、1日1食の生活が3日目にさしかかった頃、魚屋さんで、100円の銀シャケの切り身を1つ買った。

海塩を表裏に十分にまぶして後、フライパンで丁寧に焼くと、3分もたたないうちに、程よい焦げ目のついた丁度良いキツネ色になった。

両面焼き終えた後、脂の乗った柔らかな身を、1口分だけ箸にのせて、ゆっくりと口に運ぶと、それはそれは、この世のものとは思えないほど美味かった!

これがたったの100円。日本はつくづく恵まれた国だと思った。100円でこんなに美味しいものをいただけるのだ。100円でこんなに幸せになれるのだ。桁を1つや2つ、間違えているわけではない。0は2つ。100円だ。

私はもう何年も安定した収入がなく、お金を切り詰めた生活をしているが、心から良かったと思うことは、「お金をかけずとも幸せを感じることが上手になったこと」だった。そして1日1食を始めた後は、食事に感動することがさらに上手になった。

 

先日、長年の友と再会して、森の中で一緒に、山梨の郷土料理である、ほうとうを作った。長ネギ、しめじ、白菜、小松菜、それから鶏のもも肉を、圧力鍋でじっくり煮込み、十分に火が通ったら、モチモチの麦の麺とスープを入れてさらに煮込んだ。何の変哲もない普通のほうとうだ。だがしかし、これもまた美味くて、心に染みる味だった。

 

食に関して、感動することはとても簡単だと思う。

1つは、お腹をしっかり、空かせること。空腹は最高のスパイスだというが、本当にその通りだと思う。

こう言ってしまえば、ロマンも何もないが、極論、飢えた状態であれば、何を食べても、美味しい。1日何も食べず、腹をグーグー空かせて食べる飯は、とにかく美味い。

美味しいものを食べるのに、わざわざ大きなお金を出す必要はない。満腹の状態で食べるステーキよりも、空腹の状態で食べるおにぎりの方がずっと美味しい。

人参ご飯でつくったおにぎり

現代人は、食べすぎの傾向にある。口が寂しくなれば、いつでもお菓子をつまめる。常に腹の中に何かがたまっている。だからお腹が鳴らない。

しかし覚えておきたい。食べることが常習化するほど、感動は分散する。本来、食事とは命をいただく神聖な行為だ。豊作の祈りと、命への感謝が込められた、神秘的な活動だ。

空腹は、食事の神聖さを思い出させてくれる。食べることは当たり前の行為ではない。祈りであり感謝。今日を生きた自分への労いであり、明日を生きる自分への激励だ。

もう1つは、友情や愛情、達成感や充実感、悲しみや苦しみと一緒に食べることだと思う。

私は愛する人の手料理こそ最上の贅沢だと感じる。添加物を大量に含んだ量産された食品よりも、お互いの健康を思いやって素材からこだわって作った手料理のほうが、ずっと美味しい。食べた後に元気が出る。だから自然と笑顔がこぼれる。時には苦しみが浄化されるように、涙が溢れ出てくる。

 

私はここ2週間ほど、毎日のように野菜スープを食べている。7、8種類の野菜を煮込んだだけの、とても素朴なもの。そのまま野菜の旨味をベースに楽しむだけでも十分美味しいが、日によって味噌を溶かしたり、カレーのスパイスを混ぜたりしている。

決して味の濃い料理ではないが、栄養たっぷりのこのスープが、本当に美味しい。身体が深部から温まって、自然と笑顔がこぼれる。力が湧いてくる。文字どおり、野菜の命が、自分の命に力を分け与えてくれているような感覚になる。

 

この感動を誰かに味わってほしくて、実家にいたときは毎日、父と母に野菜スープをつくっていた。父と母が美味しいと笑顔になるのを見ると、とても幸せな気持ちになる。

いつの日か、友人や恋人にも振る舞いたい。森に家を構えたときは、お客さんにも振る舞いたい。

 

本当に元気が出る食事は、感情が溢れてくる。苦しみを溶かすことさえある。先日の記事でも少し紹介した、おむすびで自殺の青年を食い止めた佐藤初女さんの料理は、きっとそんな特別な力があったのだと思う。一度、食べてみたかった。

祈りと感謝に溢れた食事。そんな食事を毎日できたら、いつも生命力あふれた状態でいられると思う。私は料理人でも何でもないけれど、そんな食事を人に振る舞えるようになりたい。

 

話は野菜スープに戻る。

不摂生な食生活が続いて、何か元気が出ないなと感じる人は、一度騙されたと思って、自分のために、野菜スープをつくってみてほしい。大切な人に元気になってほしいのなら、野菜スープをつくってみてほしい。

野菜スープ宣教者みたいになってしまったが、野菜スープは本当に人を芯から元気にする。私は野菜スープを食べる度に、いつも感動している。味ではない。味は脳が知っている。野菜の生命力が自分の身体中を踊るのを、身体が感じられるからだ。

この感覚は、実際に食べていただいて、ぜひ体験してみてほしい。

 

感動できることはたくさんある

街に出歩くと、何かを食べている人の姿を頻繁に見るが、美味いのか不味いのかはっきりせず、無表情で食事している姿に遭遇すると、私は虚しさをおぼえる。スマホを片手に、食事をする姿も同様だ。

きっと世の中には、「こんな安いもので感動したら馬鹿にされる」という見栄や、「私の舌は肥えています」とアピールしたい評論家が大勢いるのだと思う。

だが私は、貧乏人の僻みだとなんだと言われようと、派手な金額に飾られた高い食べ物でしか感動できないより、100円のシャケで涙が出るほど感動できる人間になりたいと願う。

 

この世の中には、お金をかけないと経験できないことがたくさんある。しかし、お金をかけずとも幸せになれることもたくさんある。語弊を恐れず言えば、お金をかけずとも感動できる人が、お金をかけても感動できるのだと思う。

さらに言えば、そもそも本当に価値のあるものはお金がかからないのだと思う。

 

流行りのフラペチーノも美味しいが、自分で汲んだ自然の湧水で淹れるコーヒーも決して劣ってはいない。

ガイドブックに載っている景色のような派手さはなくとも、自分の足で勝ち取った山の頂の風景は、とても澄んでいる。

ブランド物も、ハンドメイドには叶わない。

 

日々当たり前のように、昇り降りしているしている太陽にも、ふんわりと広がる雲にも、感動の種は詰まっている。

馬鹿にされてもいい。人に理解されなくてもいい。こんなちっぽけなことで感動してしまう自分を恐れなくていい。

私はいつも感動していたい。感動できる人と一緒にいたい。

感動はタダだ。どうせなら毎日感動しようぜ。

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