頑張りたいのに頑張れないことが一番苦しい。本当はいつだって頑張りたい

頑張った後の世界は美しい。私たちの魂はいつだって、美しい世界を見たがっている。

頑張れないのはとても苦しい。頑張れないとき、世界はくすんで見える。

 

諏訪湖で少しランニングをするつもりが、このまま諏訪湖を一周してしまおうと思った。

諏訪湖の一周は16キロある。道端に立つ標識でそれを知った。正直、その数字がどれほどのものなのか感覚として腑に落ちない。

しかし、朝から小さな夢を抱いてしまった。

 

この大きな諏訪湖を自分の足で一周した末に見える世界は、一体どんなものだろうと。

きっとそれは美しいに違いないと。

 

頑張りたいのに頑張れないことが一番苦しい

鬱で1年近く引きこもっていた時、一番苦しかったことは、「頑張りたいけれど頑張れないこと」だった。

頑張ったとき、気分は爽快になる。頑張らなくていいと言われても、本当は頑張りたいというのが人の本音だと思う。

 

我々の魂はいつだって頑張りたいと思っている。それは、頑張った後に見える世界がとても色鮮やかに見えるからだ。本能でもそれを知っている。

歩くことは気持ちが良い。走ることも気持ちが良い。朝早く起きて朝日を見ることも、諏訪湖を一周してしまうことも、山を登ることも、絶対に気持ちが良い。

1つでも多く美しい世界を見てみたい。美しい世界の中で、思いっきり息をしてみたい、歩いてみたい、触れてみたい。だから頑張りたい。

そう私たちの魂は叫び続けているのだと思う。

 

ヒッチハイクでオーストラリアを横断したことがある。西海岸に沈む夕日を見てスタート。ゴールは、東海岸に昇る朝日を望むことだった。

今思えば、これも美しい世界に出会うことを夢見ていたのだと思う。朝日を拝むためだけに、オーストラリアを横断するなんて馬鹿げている。けどロマンがあった。意味のないようなことでも、ロマンを感じるのならやる価値はあると思う。

私が引きこもったのは、この横断の後だった。心はそれほどまでに圧迫されていた。しかし、小さな田舎町の海岸で拝んだ朝日は、忘れられないほどに美しかった。この世から音が消えて、すべてが金色に包まれたようだった。

 

諏訪湖を一周ながら、横目にタバコをふかしているおじさんを見た。

このおじさんはきっと、タバコを吸った後の、爽快な世界が見たいのだろうと思った。私はタバコは吸わないが、きっとタバコをふかした後の世界は爽快感に満ちているに違いない。

人がお酒を飲むのも、お酒を飲んだ後の、微睡み(まどろみ)の世界を体験したいからだろう。甘いチョコレートを欲するのは、全身の細胞に糖分を巡らせて、幸せな世界を体験したいからだろう。

 

私はお酒も煙草も嗜まない。嗜んでみたいと思うけれど、身体が受け付けない。嘔吐と頭痛に見舞われる。しかし、甘いものは好きだ。アイスクリームもドーナッツもシュークリームも、大好物中の大好物だ。

しかしこれらの褒美は、頑張ったあとに手に入れたほうが、何十倍も、何百倍も美味い。

 

頑張った後の世界は美しい

最近、感銘を受けた考え方の1つに、佐藤初女さんの言葉がある。佐藤初女さんは、日本のマザーテレサとも呼ばれた女性で、人生に悩みを抱えるもの、生きることに迷うもの、そんな人たちを受け入れる「森のイスキア」という施設をつくった。無償で、食事や宿を提供し、彼女のおむすびを食べた青年は自殺をとどまったという話もある。

 

彼女は「誰もやらないことの一歩先に本当の価値がある」と言った。私は彼女のこの言葉に大変感銘を受けた。

とっても苦しいとき、もうやめてしまいたいと思うとき、きっとそこまでなら誰でもできる。しかし、その一線を超えるから、人は感動するのだと、その一線の先に本当の価値があるのだと彼女は言った。

 

今、1日1食の断食生活をしている。今日で6日目。

最後の食事から12時間くらい経つとお腹が減ってくる。何かを食べたいという衝動に駆られる。しかし、断食が威力を発揮するのは、この「腹が減った後」からだ。

この空腹感が、免疫力を上げて、身体を浄化し、身も心も強くする。オートファジーという細胞の生まれ変わりが起こり、若返りの効果もある。この一線を超えて、初めて真価を発揮する。一線を超えなければ、断食の本当の効果を享受することはできない。

運動にしても同じだ。20分ほど身体を動かして、汗をかいてきたところから、脂肪は燃焼されていく。その手前で辞めることが無駄とは言わないけれど、運動の本当の凄さは、キツさの一歩先にある。

一線の先に、豊かさが詰まっている。食事や運動だけでなく、生きること全般に言えると思う。

 

頑張らずに、身を任せて

諏訪湖の一周は、想像していた3倍ほど長かった。

ちょうど半分を終えた頃、もう十分だと弱音を吐く自分がいた。しかし、ここから戻っても、このまま進んでも、結局距離は同じだ。こりゃ参った。とほほ。束の間、心が折れかけたが、このまま進むことにした。

もうどうにでもなれ!どうにでもなってしまえ!と振り切れた自分がいた。

振り切れたら、なんだか笑えてきた。一線を超える瞬間はいつも、緊張がピークに達する。この緊張のピークはキツイ。

キツイかもしれないけれど、振り切ってしまえば、緊張は弾けて、なんだかもう流れに身を預けようという穏やかな気持ちになった。自分を1つ内から打ち破った感覚になった。

 

停滞感を覚えるときは、とりあえず思いっきり外を走ったらいい。近くの山に登ってみたらいい。

そして、もうダメだとか、ここで引き返そうか、とか思ったときに、そこからさらに体力を振り絞って前に進むと、内のすべての緊張が爆発し、笑いや清々しさが込み上げてくる瞬間がやってくる。

その一線を超えたとき、きっと世界は美しく見える。

 

諏訪湖一周を終えた。

歩数計はちょうど2万歩をさしていた。時間は3時間半。途中走ったりしたけれど、大半は歩いていた。42キロを走るフルマラソン選手に感服する。

世の中には毎朝山登りをしているおばあちゃんや、片道50キロを自転車で通勤している猛者もいる。自分の限界に挑んでいる人が世界にはたくさんいる。

 

自分を見くびらず、見切りをつけず、一歩先に行こう。

きっと人は自分が思っている何倍も、可能性を秘めた存在だ。

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