私たちは、虹の中にいる。

人は皆、大海原を泳いでいる。

お宝が眠る島を目指して、泳いでいる。

スイスイ~♪と楽に泳いで、辿り着けてしまう人もいれば、必死に泳いでいるうちに、疲れ切って溺れてしまう人や、島の方角を見失って、いつしか泳ぐことが目的となってしまう人もいる。

途中まで船に乗せてもらおうと、人の船に乗せてもらったはいいものの、下船してしまうことを忘れてしまう人もいる。船から飛び降りる勇気を失ってしまう人もいる。

漂流した先が、お宝が眠る島だと思い込んで、あるはずのない宝探しをする人もいる。

 

私は溺れた。

一人で泳ぐことに力尽きて、真っ暗な海底へと沈んでいった。海の底は怖かった。息ができなくて、とても苦しかった。死ぬかと思った。いや、一度死んだ。

 

しばらくは海の底で、もがき苦しんだ。それから、なぜか力をふっと抜いて、なんとか水面まで浮かび上がってくることができた。

水面から顔を出すと、そこには静かな大きな海が広がっていた。とても綺麗な海だった。

 

朝焼けも夕焼けもとても綺麗で、浮かんでいるだけで、幸せな気持ちになれた。

同じよう水面から顔を出している人は、よく分かる。あ、どうも、チーッス!という感じで、水面から顔を出している人にしか分からない、呼吸のリズムが伝わってくる。そこに命を感じる。

 

日本人は基本的に、頑張り屋だから、溺れてしまうか、よっぽど息が苦しくならないかぎり、めったに水面にあがってこようとしない。その理由の大きなところは、泳ぎ続けなければ、死んでしまうと思っているからだ。

 

幸いなことに、水面にあがったすぐ先に、お宝が眠る島が見えた。今は、海の中から、朝焼けや夕焼けを見ているけれど、島のてっぺんから、美しい景色を見てみたいと思った。

そこに行くまでには、まだ結構な距離がある。このまま泳いでいたら、一体たどり着くのはいつになるか分からない。

 

早く島に辿り着きたかったら、もう一度海中に潜って、激流に飲み込まれて、そこに運ばれることが一番だろう。

しかし一方で、もし激流に飲み込まれてしまったら、再び水面に上がってこれなくなるのではないか、せっかく見つけた宝の島を、見失ってしまうのではないか、そんな恐怖に駆られる。

 

水面から眺める世界の美しさを知ってしまった私は、海中に潜ることを恐れている。

しかし、実は海の中にも同じくらい美しい景色が広がっているのかもしれないと思うと、潜ることも肯定的にとらえることができる。

いやきっと、美しいに違いない。

 

こんな例え話を、youtubeを通じて出会った、Tさんに話すと、「私は既に宝島にいるのだけれど、宝を見つけようとしていないだけなのかもしれない」というようなお言葉が返ってきた。

 

Tさんは、こんな話をしてくれた。

ある日、幼き息子とホースで水遊びをしていると、虹ができたそうで。息子くんは、大喜びして、虹を追いかけたそう。けれど、いざ虹のもとへ辿り着いて、虹をつかもうとすると、虹は見えなくなって消えてしまった。

 

続けてこんな言葉を残した。

私たちは今、虹の中にいる。虹の中にいるから、虹は見えない。けれど、虹は確かにここにある。少し離れないと、虹は見えない。

時間が通り過ぎたときや、何かを失ったときのように、今と距離が生まれたときに、虹は初めて見える。虹の中にいたことを実感する。

 

詩的で美しいですね、とTさんに伝えた。

泳いでいることはすべて幻想で、実は島に辿り着いているのかもしれない、なんてことも思う。

 

私たちは今、虹の中にいるのだとしたら。

そう思うと、目の前の森林が、より一層深く、鮮やかな緑色に染まっていった。

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