長野県、野尻湖の畔にいる。野尻湖はかつて、火山噴火によってできたらしい。
高原地なので、湖全体が緑に囲まれていて、夏でも空気も冷たい。とてもいいところだ。とてもいい所のはずなのに、いいと感じられないのは、今の私の心が別の何かを欲しているからなのだろう。
一人寂しさの真っただ中にいるときに、ある方と会話を拒絶されたように感じ、孤独死しそうになっている。
自分の感じたそのままを正直に相手に伝えることはかけがえのないものだと思うけれど、思いやりが欠如していれば、相手を傷つけ、自分を傷つけてしまうことを知った。
あなたが痛めば、私も痛む。痛みはともにある。
そのまま感じたことを、そのまま相手に解き放つのではなく、一度自分の中で言葉を吟味する必要があるのかもしれない。語尾を変えるだけでも、言葉の印象は変わる。それはテクニックとかじゃなくて、思いやる心があれば、自然とできることだ。
ただ、言葉そのものを吟味する過程が長引けば長引くほど、そのままが、そのままじゃなくなるという恐れもある。取り繕われた言葉になれば、言葉の純度は落ちる。それはそれで、微妙だなと思う。
取り繕われた会話は、今の私にとって虚しさを助長するものでしかない。
相手に踏み込むことを辞めれば、傷つくことは減るかもしれないが、そんな姿勢からは宝物のような出会いは絶対に生まれない。
傷ついたら、痛みを知ればいいと思う。自分や相手を非難する必要は一切ない。ただ、「痛い」ことを知る。胸にある痛みを感じる。
痛みを知って思いやりのある言葉を発せられるようになればいい。痛みは人生の苦しみではなく、人を思いやるための肥料にする。
言葉を選べなかった俺は、痛みがまだまだ足りなかったなと思った。
キツイけど、どんどん傷つこう。痛みを知ろう。そして相手を思いやる言葉を、自然と選べるようになりたい。
今この瞬間、そのまま感じていることを、そのまま伝える以上に、今の私として、人に正直でいられる方法はない。
でも「あなたが今感じていることはどうでもいいです。情報だけください。」みたいな姿勢は、とても悲しくなる。
今私とあなたがそのまま感じていることを、そのまま交わす以外に、尊い会話はないと思うんだけどなぁ。
人は質疑応答マシーンでも、都合の良い言葉をかけてくれる便利な人間でもない。
あなたと同じように、今この瞬間に、何かを感じ、考え、生きている一人の人間に過ぎない。
今ここにしか生きていないんだから、今ここにある会話をしようよって思うんだけどなぁ~。
そんな、朝からとっても、孤独死しそうな僕でしたが、幸いにも、柿崎の海で出会ったご夫婦に、これから家に遊びに来なさいとお誘いを受けたので、なんとか今日も生き延びられそうです!
孤独死しそうな自分も、楽しんでいきます!
ちょっと人に意識向きすぎちゃったかな。
あまり深刻になりすぎず、楽しむこと考えるんだぞ~俺~!
意識が人に向きすぎてて、すごく窮屈人間になってるぞ〜!
もっと楽しいことに目を向けよう。
もっと好きなことに目を向けよう。そしたら、もっと軽やかで、楽しくいられるはずだぞ〜!
— とむ(森の中に家を建てることが夢) (@tomtombread) July 20, 2022
軽やかに行こう!
というわけで、また明日!ばいばい!
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