まずは自分の心を平和に。[392/1000]

私たちがいる世界は、私たちがつくりだしている世界である。個人的無意識は、集合的無意識に支えられてるとユングは言った。世界が戦いに染まり、不安と恐怖におびえるほど、個人にも、戦いと不安におびえる日々がある。だが、この逆もある。個人から平和な無意識がひろがれば、集合をつくる無意識も平和なものになるのである。それは小さく、無力に等しい「戦い」に違いないが、イエスをはじめとし、個人の無意識が集団の無意識に働きかけ、伝播していくのが歴史であるのだ。

平和な世界をのぞむなら、まずは自分の心を平和に。国に誇り高き武士道の精神を求めるなら、まずは自分自身が誇り高く。それが、個人が今日からできる「戦い」である。私が一貫したい姿勢は、”宇宙戦士”である。宇宙の大海の一滴として個人生命があることの自覚をもち、地上の物質主義に惑わされず、絶対積極、絶対負のエネルギーのもと、時代に左右されぬ普遍の価値を信じつづけることである。

私自身よくもわるくも、メディアをはじめとして、外界の影響を受けやすい人間である。影響を受けるときは自覚し、どれだけ自己の心を制することができるか、そこが勝負である。

 

さて、森の方はどうなっているか。倒木は片づき、今は木を少しだけ伐り倒している。この木は、家の材料となる。昨日は、2.5mの柱が3本できた。あと1本。50cmは地面に埋めるので、家の高さは2mになる。今日、明日で、もう1,2本倒せば、骨格となる材料は確保できそうである。早ければ今週中、遅くとも7月中には家づくりに着手したい。

鴨長明は、懸命に建てた家が、火事や地震で跡形もなくなくなってしまうことの虚しさを嘆いていた。現代は、よほどの震災や、二次災害となる火事や津波でないかぎり、家が崩れるということはないが、私自身、いつまでここに住むのか分からない以上、あまりこだわりすぎず、簡素な家にしたいと思う。

使い古された言葉ではあるが、うまくやらなきゃと思うほど楽しくなくなるばかりか、苦痛になる。現にここ数日、この病に憑りつかれていた。丈夫な家をつくらなきゃとか、ロマンのある家をつくらなきゃとか、そんなことばかり考えているのである。

壊れたら作り直せばいい。下手くそなら、下手くそでいい。それくらいの気持ちで、雑に適当につくりたいと思うのである。申し訳ないが、根がまじめな人間は、適当にやったとしても、それなりにちゃんとなってしまうのである。だからてきとうにやればいいのである。

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