今日も相変わらず、身体に違和感がある。
頭がクラクラしていて、朝から空腹で吐き気がする。立ってブログを書いていたら、気持ち悪くなったので、静かに座って書いている。
いい加減、はやく元気になりたいぞ~!
私は、微妙に体調が優れないと、そこばかりに気が向きすぎて、何もできなくなってしまう。
少しでも頭が痛かったり、身体が怠かったりすると、何をやっても精が出ず、ただ横になって休みたくなるのだ。
身体の調子が悪くても、「これくらいは大丈夫!」とクスリを飲んで無理やり仕事ができる人は、すごいなぁといつも感心する。
私はちょっとでも、体調が優れなければ、本当にもう何もできなくなってしまうのだ。
どちらが正しいとかはないと思うけど、元気がないなら休むことは生き物としては自然のことだと思うので、
「このくらいのキツさだったらまだいけるから、働かなきゃ!」みたいな人間界のルールに縛られすぎず、休みが必要だと思ったら、ちゃんと休むんだよ~!
私は昨日に引きつづき、今日もスローペースな1日になりそうです。
私の好きな東洋医学の石原結實先生の言葉に、「人間の基本設定は空腹」という言葉がある。
そもそも、デフォルトが空腹状態であるはずなのに、現代人はデフォルトが満腹状態になっていることに、警鐘を鳴らした言葉でもある。
お腹が空いているときの方が、頭もよく働くし、身体もよく動く。これは、腹が減って、命の危機に瀕しているときに、エサをとるために頭も身体も、よく使う必要があるからだと言われている。
逆に、お腹が満たされれば、頭も身体も使う必要がなくなるので、空腹のときに力を発揮できるのは、動物としてちゃんと理にかなっているのだ。
食べないと体力が出ないというが、力仕事をするときも、塩と水だけとっていれば、ちゃんと体力は持つ。逆に、胃に何か食べ物をいれてしまうと、消化に力を持っていかれて、力仕事ははかどらなくなる。
これは私も経験済みである。もし体力がないのだとしたら、それはどちらかといえば、基礎的な食習慣の方に原因があるだろう。
私たちは、デフォルトの状態を、空腹状態にするか、満腹状態するか、自分で決めることができる。
このデフォルトの状態1つで、今日生きる意欲も、方向性も、活力も、ガランと変わってしまうので、私はこれ、とてつもなく大きいことだと思っている。
何をデフォルトにするかという話に、毎日のデフォルトを「幸せな状態にするか」「不幸な状態にするか」ということもある。
これが、幸せは「なるもの」ではなく、既に「ここにあるもの」といわれる所以で、心がけ次第で、状態はスイッチするように切り替わる。
不幸状態がデフォルトになっているときは、「どうしたら幸せになれるのか」という方向性で生活を見つめがちになる。
実はこの見方が既に、不幸な状態から発せられているものであることに気づかなければいけない。「これをしたら幸せになれる」とか、「これを手に入れたら幸せになれる」という発想は、いくら何をしようと、不幸モードのままなので、手に入れた後も、実は満たされないことの方が多い。
幸せな状態のときは、もう既に今幸せであることが前提にあるから、「どうしたら幸せになれるのか」なんて考えない。それよりも「どうしたらあの人を笑顔にできるか」とか「どうしたら町の皆が気持ちよく暮らせるか」という方向性で世界を見つめる。
幸せ状態なときは、日常的に、よく歩き、挨拶をし、ゴミを拾い、気持ちも穏やかで、いつも気分良く過ごしていて、いいループに入っている。そんな経験は、誰しも少なからずあるだろう。
昨今の私は、「ああ今日も頭クラクラしてんのか」と不幸モードから1日を始めていた気がする。(オーマイガー)
幸せを標準設定にできたらきっといいと分かっていても、どうしても体調が悪いと、朝から一気に持ってかれてしまう。
・・・・・と書きながら、
「幸せとか不幸とかそんなこと気にしている時点で既に不幸モードだぞ~!幸か不幸かなんて、気にしててもしょうがないし、気にすることでもないぞ~!」
ともう一人の自分がささやき始めております(笑)
本当にそのとおりだと書いていても感じた。
今自分が幸せかどうかは、気にしすぎれば気にしすぎるほど、不幸がデフォルト化してしまうという罠でもある。
それよりも、今日、楽しいこと、好きなことをしてごらん!
好きなもの食べて、好きなことして、今元気なってごらん!
そんな心がけでいたほうが、毎日はハッピーになっていく。
幸せがデフォルト化するときは、もう幸せか不幸かなんて、どうでもよくなってるんだよ。
さて、では今日はこの辺で!
また明日!see you tomorrow!
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