御国のためと喜んで金を差し出せたらどれだけ仕合せなことだろう。[970/1000]

理想主義といふのは、決して現実を遊離したもんぢやなくてね、人間性の現実なんだ。理想を持ち、それに殉じて死ぬといふことも本能なんだ。それをあたかも生命欲だけが本能であつて、それに殉じて死ぬといふことが本能に反するものだと思つたら大間違ひで、これも本能なんだ。少なくとも人間だけが持つてゐる本能だ。

三島由紀夫「若きサムライのために」

金が尽きそうだ。暖かくなるまで畑の仕事はない。あたらしい働き口をみつけなければならぬ。金のことを考えるのは好かないが、現実、金がないとどうしようもならないことも多い。人間、普通に生きる分には、ほとんど金がかからない。野菜は自分で育てればタダだ。水や電気も自給することはできる。ちいさな小屋を自分で建てれば家賃もローンもない。だが生きている人間に、国は毎月きっちりと金を徴収する。刃向かえば、強大な権力で家や土地を没収する。山で自給自足を完結している人間も、現金を得るためだけに街にくだる。今日、隠者になることの難しさはそれゆえである。

 

政治家の堕落と権利だけを主張する大衆化が相まって、国と国民の関係は地獄絵図になっている。苦労して働いて得た金を奪われる気持ちになれば、人はたちまち弱者となり、心は摩耗する一方だ。御国のためと喜んで金を差し出せたら、どれだけ仕合せなことだろうと夢を見る。実際、自分たちの生活に苦労していても、そう心から願える国民性をわれわれは持っていたことだろう。自ら率先して弱者を演じるのではなく、貧しさのなかでも人間としての誇りを持ち、生活に強く立脚していた。政治家の堕落に嘆きはある。だが、それと弱者となることは関係のない話だ。身を粉にして強く働けばいい。貧しくとも金を納めればいい。己が強く生きることの態度は、だれにも奪われぬものなのだ。

 

2025.2.15