【月光の森日記】青森から長野まで弾丸のようにやってきた二十代女性[481/1000]

歓喜、悲哀、憤怒、寂寥。感情は尊いものにちがいない。しかし、直情的に感情をさらけだすことが正しいとも思わない。歯を食いしばるようにぐっとこらえ胸奥に押し忍ぶことで、感情は見えない何か、大きなものに昇華され、美しい花を咲かせるからである。その度合いは、人間の成熟度に比例しているように思う。

 

本日は、日記という形式を取ることによって、多少は私の感情も入り混じるかもしれない。だが、なるべく感情は昇華させ、直情的に書き綴ることは控えてみようと思う。なんせ、青森から長野まで、命で風を切るように、勇敢に女性がやってきたのだ。私もその姿勢に応えるように、命を捧げる覚悟で立ち向かおうと心構え、結果すばらしい時間となった。彼女は私が手がけた森の家で二晩過ごし、三日目、本日の昼、神々しい天光が雲間から降り注ぐ中、東京方面に見える、富士山に向かって帰っていった。

 

これまでに何度も、「とむの家」と称して、人を迎えたことがある。しかし、私は送り出した後、必ず後悔してきた。それは、自分の中核にある叫びを感情と共にさらけだし、その波動をぶつけ合うように、言葉を交わすことが美しいことだと信じていたからだ。後悔の種となっていたのは、そのようにして膨れ上がった自我である。

 

彼女を送り出したいまの私が、真紅な秋の落葉となって、穏やかな風に揺られているような心持ちなのは、「自分」や「感情」の地位を失墜させ、「精神」や「魂」の地位を昇格させたからに他ならない。それが結果的に、人間として誠実な時間を生み出すことに貢献した。

そう聞くと、少しドライな印象をうけるかもしれないが、決してそんなことはない。事前に心に仕込まれた「感情」は踏みにじられるのではなく、むしろ「精神」や「魂」に手を引かれて、気高いものと一体となるのだ。その過程は、衝撃波が生ずるほどの、本音のぶつかり合いであり、重力をともなった真剣勝負である。心より引きずり出された感情が、直情的なものへ墜落しなかったのは、ひとえに、彼女が相手の眼をずっと見つめられる辛抱強さと、持ち合わせた精神の力によるところが大きい。

 

彼女とは問答を繰り返すような三日間であった。前日に問うたことに、翌日、改めて答えをぶつけてくる。問答の詳細は、書き残すに最も価値のあることであるが、私は彼女との問答を、内に忍ばせたまま、そのまま肚におとしこみたいと思う。これを読む人に詳細を知ってもらえないことは残念であるが、どのみち草枕月記を読みつづけるのなら、問答が私の肚におちたときに、自ずと文脈に浮上していくと確信する。

 

月光の森でのはじめての試みとしては、文学論を理想とした、読書会を行った。彼女は三島由紀夫の「美しい星」を持参した。私もこの本を愛読する。絶好の機会だったので、私からやってみないかと提案することにしたのだ。

深い森の夜に包まれて、ランタン一つの小さな灯りと、薪ストーブの火を囲いながら、お互いに付箋を貼った箇所を朗読し、それについて思うことを交互に述べていった。安易に言語化しなくてもよい。なぜならば、自分の程度に「言葉」を堕落させ、かえって陳腐化させてしまうことがあるからだ。言葉にならなければ、無理に言語化をこころみず、混沌のまま受け取ること。これを読書会のルールとして定めた。

 

声に出すと、五感を通じて、全身に言葉が染みこんでくる。そして、美しい言葉を朗読する声は、美しい声色となって響くことも興味深い。彼女の声色も、まるで別人のように深く澄み渡った。まるで、小学校の国語の授業で「何ページの何行目を見てください」というように、朗読と考えを交わした形式であったが、すごく楽していい時間だったと、翌朝、彼女は語った。

私にとっても、こういった読書会は一人ではできないので、今後も来客が本を持ってくることがあれば、是非やりたい。これほど、有意義な時間を過ごせることもめったにない。

 

細かいことを書けば、私が昨年の冬、恋のエネルギーを理解した、黄昏の諏訪湖を案内したり、まだ富士山を実物でみたことがないという彼女を、見晴らしの良い丘に連れ登ったりした。ただこれらの体験は、あくまで、上に綴られた中心出来事の引き立て役にすぎず、個人の心にそっとしまわれるものである。後になって、思い出として、もっとも私たちを愉しませてくれるのは、こういう引き立て役の体験である。「ああそんなこともあったね」と、小学生時代の失く物をみつけたときのような懐旧の情が、もっとも笑いを引き出し、もっとも幸福を増幅させてくれるのである。私もこれらの体験は出来事の羅列にとどめ、そっと胸にしまいたいと思う。

 

以上がおおまかであるが、青森からの女性を月光の森にむかえた記録である。隠遁を試みる私にとって、人と出会うことは稀なものであるが、いい出会いは人生を潤すと改めて思うのである。ここで個人的な言葉を残すのは、あまりにも礼を失するかもしれないが、おそらくこれを読んでいる彼女には、改めて深くお礼を言いたい。

 

【書物の海 #11】美しい星, 三島由紀夫(新潮文庫)

重一郎はふと目をつぶって、暗澹たる青年時代を思いうかべた。そのころの彼は、幸福という観念を疫病のように怖れていた。自分の無為に苦しみ、激しい劣等感に襲われて、無為が自分を蝕んで殺してくれることを夢みた。しかし無為は彼を殺さなかった。そのためには自殺が必要だった。そして自殺の為には努力が。・・・・・・そのころ彼の目に映っていた世界のすがたは、登攀(とうはん)のよすがもなく、ただ直面しているほかない巨大なつるつるした球体だった。それは醜くさえなかったのだ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です