物質主義の世の中では、労働(時間)の対価として賃金が支払われる。両者の関係は対等に成立しているようにみえるが、われわれの存在本質がエネルギーであることを思い出せば、物質だけで関係を語ることが未完であることに気づく。たとえば、人手不足のときに、病気がちな労働者にわざわざ出勤してもらえば、その労いとして、賃金の他に何かしら礼をしたくなるのが、心ある人間の感覚である。金や時間といった物質的な諸条件は、あくまで形式の一つにすぎず、その本質は、誠意や心意気といった心情的な部分まで、エネルギーとして存在していることを、物質主義社会では忘れがちである。
金を払っているのだから働けというのは、物質的には正論ではある。だが、エネルギー全体の問題としてみたときに、その関係が対等でなければ、労働者は「搾取されている」と感じるのが自然である。搾取されていると感じた労働者が、反抗的な態度をとったり、やる気のない態度をとったりするのは、エネルギーの損失分を取り返そうとするものである。これが仕事において、非生産的であることは言うまでもない。両者のエネルギー関係は、縮小のスパイラルに入る。反対に、労働者の働きを十分に労えば、恩を返そうと労働者ますます懸命に働こうとする。
物質主義者からしてみれば、エネルギーなんて曖昧な概念はけち臭く思われるかもしれない。だが、前者の場合、雇用主と労働者の関係は短命に終わり、後者の場合、関係が末永くつづくのは、社会を見渡せばよく分かる。われわれはエネルギーを補完し合って生きるのであって、奪い合いになった途端、戦争のように殺伐となる。
2024.10.17