世話になる農家で、野良着の婆ちゃんが毎日働いている。土日休みや定年退職ような企業概念はなく、働くことは生きることと同義であるように見える。働くことは当たり前、働くことが生きること。無論、そこに顔を歪めたくなるような奴隷的苦痛はない。欲望や権利を、修行僧のように放棄するわけでもない。疲れたときは腰を下ろして気のすむまで休み、小腹が空いたらお菓子を愉しんで、働けるときに働いている。自然のように穏やかに振る舞い、よく話し、よく笑っている。
日本人はよく働くというが、それが性に合っているからだと思う。西洋的な企業概念としての働くこと、欲望や権利との相克のなかに、生の土壌から切り離された仕事ではなく、毎日の呼吸のように自然から生ずる仕事である。それが日本人にとって、最も身近な仕合せであったのではなかろうか。若者はやりたいことを探し路頭に迷うが、それもそのはずで、元来、そういう性分は持ちあわせていないように思える。
私のまわりを見て感じるのは、やりたいことを新たに見つけることは稀で、多くは元ある(あった)ものへと回帰していく。記憶を掘り起こすように、眠る魂を起こすように。
2024.9.29
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