継続は力なり、継続は愛なり![97/1000]

生まれ故郷の岐阜まで帰ってきた。実家には泊まらず、近くの山の麓で朝を迎えた。

引きこもりで鬱だったころも、実家にいながら、寝るときだけは必ず車の中で寝ていた。1日中引きこもっては、夜になると、夜空を見上げながら車へ行き(この瞬間だけは生きた心地がした)、朝になると絶望しながら家に戻く、なんて変なルーチンをしていた。

 

昨晩は台風がきていたようで、雨が叩きつけるように降った。真っ暗の山の麓で、雨音に包まれる時間は不安であったが、しばらく呼吸に集中していると、同時に大きな安らぎをおぼえた。怖さが消えて、安心に変わったのではなく、怖いという気持ちがありながら、そのまま安らいでいるような不思議な状態だった。

生と死の両方の衝動があると感じた。

 

私が家を苦手とするのは、要塞のように守られすぎているからだ。テレビがある。快適なソファがある。電気もお風呂もガスも、お菓子や食料だってたくさんある。安心安全かもしれないけど、生の衝動に振り切れすぎていて、ずっといるとエネルギー(野性味)が削がれていくような感じになる。

壁が薄くて外の音が良く聞こえて、多少剥き出しで空調も外とほとんど同じで、最低限の雨風をしのげる壁と屋根だけある、質素な家のほうが、私には合っているのだと思う。

 

本当の安心は、生の衝動と死の衝動を兼ね揃えたものにあるように思う。

安心と一緒に恐れを抱えているような、そんなものでもある気がする。ここら辺は、もう少し探求したい。

 

精神修養 #6 (2h/24h)

・「瞑想中に生じる考えが、あまりにも脈絡がないので、箇条書きでかく」

・「瞑想中に生じる考えは、あくまで俯瞰対象なので、カッコ書きで書く」

・「旅をしていると、暮らしを欲していた自分がいたように思えたが、本当は、暮らしをもつことで、バラバラになった自分の原型をそこに留めようとしたかっただけだった」

・「生の衝動と死の衝動の両方を兼ね揃えたものに、美しさと、安心をおぼえる」

・瞑想中の考えは、あくまで俯瞰対象だけれど、精神が鋭くなると、気づけていなかったような感覚にも気づけるようになる。

・これまで気づけなかった感覚が言葉になると、瞑想を中断して書き留めたくなるが、それもまた雑念であるので、呼吸に集中する

・瞑想を終えると、感じたことの大半は夢であったかのように消えて、思い出せなくなっている

・思い出せないことは本当に書き留めるほど重要なことであったのかは分からなくて、考えに執着しているだけなのかもしれない

 

・「瞑想は心の排泄みたいだ。日々、五感で世界を生きることで心は吸収している。だから、濃い1日ほど、心はよくしゃべる。」

・考えごとが多く、気づいたら考えに付き合わされて、呼吸に気づいていられる時間は少なかった。まるで目の前に大好物のバナナを出されて、気づいたら2本も3本も食べてるサルみたいだ。

・焦燥感をおぼえているときは、胃の上部の奥のほうに、重たい塊を感じる。感情が生じるときは、必ず身体のどこかに何かしらの感覚が生じている。

・「眠っているときは、意識はどこへ行くのだろう?」という問い

・意識が飛びそうになる感覚は、まるで意識という乗り物はここにあるけれど、その操縦席が空っぽになるような状態

 

 

両親に会うと、絶対的に自分を受け入れてくれる安心感をおぼえる。しかし、いつかは別れの時が来ることを想像すると、とても怖くなる。そして誰かを絶対的に受け入れる人間になれているのかと自問しては、自分の未熟さに焦りや悔しさが生じる。

 

漠然だけど、愛のある人間になることが、私にとって常日頃あるゴールの1つである。愛に生きる自分は、生易しい道ではなく、修羅の道の先にいる気がする。だから自分には厳格でありたい。自分を貶めることは厳しさではない。竹刀で叩き、喝を入れて、保証のない未来へ自分を導いていくようなそんな厳しさ。

 

今ここの自分がすべてだ。今ここにあるものはあるし、今ここにないものはない。未熟な愛だとか、成熟した愛だとかいうが、要するに愛は既にここにある。愛する素養は、既に誰もがもっている。

ただそれは、今の自分の在り方によって、成熟と未熟を行ったり来たりするのだと思う。これまでの人生で愛に生きたこともある。しかし、一点に到達したからといって、自分を甘やかせば、愛は未熟なものへと逆戻りするし、何かがおかしくなって自分を蔑んだりすれば、もう愛が何なのか分かんなくなる。

 

ああそうか、だからフロムは愛は技術といったのだ。技術は何もしなければ、廃れてしまう。クラシックの難曲を1曲弾けるようになっても、練習しなければ、指が動かなくなって、ピアノが弾けなくなるように。

技術は日々の習慣として、規律をもって、鍛錬するしかない。継続しかない。

継続は力なりで、継続は愛なりだ!

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