努力とは何でしょう?
世間一般的には、『頑張ること=努力』と捉えられてます。
けれど頑張っているつもりでも
実は我慢しているだけ
なんてこともあります
自分がやりたくないことを、頑張ること……
これは努力といえるのでしょうか?
努力が嫌いな人は、努力と我慢をごっちゃにしているように思います。
努力は、自分の想いを叶えるための主体的なものだからです。
Contents
1 努力が嫌いな人は、やらされているから
努力が嫌いな人は、努力を勘違いしています。
努力:自分の想いを実現するために、頑張って積み上げること
我慢:自分のやりたくないことを、頑張ってやること
だとボクは思っています。
行きたくない仕事に、毎日頑張って行くのは、努力ではありません。
これは我慢。
他にも、やりたくもない勉強を、毎日こなすのも、努力ではありません。
これも我慢。
努力とは、自分の想いを実現するために、コツコツと積み上げることです。
大学で心理学を勉強したいから、毎日頑張って勉強する。
これは努力。
ピアノの全国大会で、結果を残したいから、頑張って練習する。
これも努力。
仕事で、成果をあげたいから、一人残って仕事をする。
これも努力。
努力と我慢の違いは
- 自分がやっているのか
- 他人にやらされているのか
の違いです。
努力が嫌いな人は、努力を我慢と間違えているんじゃないかな~とボクは思います。
努力が嫌いなのではなく、「我慢が嫌い」といった方が正確です。
我慢…..ボクも嫌です。
2 努力が嫌いな人は我慢で消耗している
我慢を努力と錯覚したまま、頑張りすぎてしまうと
心身がボロボロに疲弊
してしまいます
ボクたちって、学校教育を受けてきたころから、我慢と努力を同じようなものとして考えさせられてきました。
- やりたくない勉強も、我慢していい成績を取った人が、称賛される。
- やりたくない掃除も、我慢して無言で丁寧にやった人が、先生に褒められる。
- 食べたくない給食も、我慢して全部食べ切ることが美徳とされる。
我慢を美徳とすることの何が問題かって
自分の本当の気持ちが置き去りにされてしまうこと
です
「心がやりたくない」と言っているのに、その気持ちを認めてあげなければ、当然自分は苦しくなります。
ボクがそうだったのですが、我慢をずっと続けて、自分の気持ちが分からなくなるなんてこともあります。
自分を見失ってしまうくらいなら
我慢なんてしなくていい
とボクはお伝えしたいです。
我慢して、自分を犠牲にしてしまうよりも、
自分を大切にすることの方がよっぽど大事です。
今頑張っているあなたは、「努力」ですか?
それとも「我慢」ですか?
3 実は努力するよりも、我慢する方が簡単
ボクたちが、自分を消耗させてまでも、我慢してしまうのは
何かに向かっていくよりも、何かに耐える方がずっと簡単
だからです。
「自分で考えてやる」より「人に決められたことをやる」方が、楽ということですね。
番長
- 自分の頭で考えなくてもいいし
- 責任を取る必要もないからな
例えば、「常識」なんかがそう。
- 大学を出たら働くことが”普通”
- 嫌でも仕事に行くことが”普通”
- 毎日学校に行くことが”普通”
常識にそって生きていれば、親からうるさく言われることもなくて、リスクがなくて安全な生き方のように思えます。
一方、常識からはみ出て生きれば、自分の将来に真剣に向き合って、自分の決断に責任を取って生きないといけませんよね。
「常識」にそって生きている限りは、「常識」が責任を取ってくれてます。
自分の中に「これがやりたい!」という気持ちがあっても、常識のレールを踏み外して頑張るよりも、レールの上で頑張ったほうが楽なのです。
番長
4 努力が嫌いなら、自分で決断することから始めてみて
もしあなたが「自由に生きたい」と願うのであれば、
我慢をやめて努力をする
ことをおすすめします
理由は
- 我慢は、「他人」が「自分」を支配することで
- 努力は、「自分」で「自分」を律すること
だからです。
確かに自分で考えることや、自分で責任を取ることは、生易しくはありません。
我慢してでも、自分を犠牲に頑張ったほうが、楽っちゃ楽です。
けれど、我慢をつづけているかぎりは、誰かの支配を受け続けることになります。
自分の気持ちを犠牲に、「誰かのため」に頑張らないといけません。
もし自由に生きたいと願うなら、努力することを始めましょう。
- 自分の頭で考えて
- 自分で決断して
- 自分で行動して
- 自分で結果を受け入れる
自分の人生を、自分で責任を取る覚悟を持てば、
がむしゃらになることは自然とできるようになる
とボクは思っています
そんな努力する生き方が、ボクは「自分をを大切にする生き方」だと思いますよ。
5 努力が嫌いな人は、「泥臭く闘っている自分」をイメージする
努力は、自分の実現したい目標に向かうものといっても、易しいものではありません。
結局やるべきことって、泥臭いことの積み重ねですから。
そんな人は
泥臭く闘っている自分
をイメージしてみてください
これは研究でも明らかになっていることですが、
- 結果を出している自分をイメージするのではなく
- 取り組んでいる最中の自分をイメージするとパフォーマンスが上がる
と言われています。
努力を続けて、結果を出している周りの人を見ても、
自分ができるようになったこと
に常に焦点をあてています
がむしゃらに闘っても、すぐに結果が出るとは限らない。
そんな結果を見て、落ち込んでしまうくらいなら、自分ができるようになったことにフォーカスをあててみよ!
ということです。
努力が嫌な人は
- 泥臭く取り組んでいる自分をイメージすること
- 自分ができるようになったことに注目すること
をやってみてください。
6 努力が嫌いでも、達成感を知ると努力が好きになる
自分の想いに愚直になり続けた先には
- 達成感
- 充実感
- 誇り
が待っています
これらの喜びって、無類のものです。
単発的な快楽とは違って、持続的に心の充足を得られるものです。
がむしゃらに突っ走っている最中は、
「こんな苦しい思いをして、本当に結果なんて出るのかよ….」
と感じてしまいがちですが
めげずにやりましょ!
それが、自己犠牲の我慢じゃなく、自分を大切にする努力であるなら、頑張りましょ!
やり切れなくて、後から悔やむことはあっても、
がむしゃらに突っ走って後悔することなんて絶対ないから。
7 まとめ
ここでお伝えしたかったことは大きく次の5つ!
- 努力が嫌いな人は、「自己犠牲の我慢」と「自分を大切にする努力」を間違えているかもよ!
- 自分の人生に責任を取る覚悟を持つと、自然と努力はできる!
- 何かに耐えることをやめて、何かに向かう生き方をすると自由になれる
- がむしゃらに走ったことに後から悔やむことはない。
- 泥臭く取り組んでいる自分をイメージして、続けてみよ!
泥臭く、自分を大切に生きていきましょ!
ではっ!
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