人間という大きなものを継承して生きている。魂をそこなうよりは、肉体を十ぺん滅ぼす覚悟で生きた人間たちによって、欲望の地に埋没することなく、魂という財産は今日に受け継がれてきたのだ。書物を読めば、命懸けで魂を死守してきた人間たちと出会う。いつの時代も弱い人間は堕落し、苦悩の涙を流してきた。卑劣漢になろうとも、人間としての最後の誇りだけは、決して譲らなかったのである。
今日生きる我々に、人間としての使命があるとすれば、人間としての魂を忘れないことではないだろうか。ただ、人間として生きる。たったそれだけであるが、それだけのことが厳しいのである。だから書物を通じ、孤独な魂に勇気をもらいながら、現世の人間同士、励まし合うのだ。
【書物の海 #3】
・ルカによる福音書, 新約聖書
「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないだと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」
イエスが捕まったとき、ペトロは自分も殺されることを恐れ、イエスのことを知らない人間だと言い張った。つまり、イエスを裏切ったのである。何とかその場をしのいだペトロであったが、イエスを見放した自分を顧みて、己の卑劣を恥じ、情けなく思わずにはいられなかった。ペトロが激しく泣いた一面に、涙を流さざるをえないのは、この人間の弱さが痛いほど分かるからである。後にペトロは、ローマ皇帝ネロに捕まり、逆さの磔となって殉教を遂げるが、そうした強い信仰を得るにいたったのは、あの「人間の涙」があったからだろうと想像する。
・偸盗, 芥川龍之介
「彼は空も見なかった。路も見なかった。月は猶更眼にはいらなかった。唯見たのは、限りない夜である。夜に似た愛憎の深みである。」
嘘や、盗みや、人殺しと比べたら、私の堕落など程度の知れたものである。しかし、堕落につきまとう孤独の中では、そこから這い上がる人間の生き様は明るい希望にうつる。愛憎の深みを語るには、私は人生経験が不足するが、憎しみを越えた愛は、ただの愛よりも、ずっと深いものであると感じる。
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