アフリカで誕生した人類は太陽を求め東にやってきた。その旅の果ての地が日本である。ゆえに日本は、日の本である。
この歴史を読み、偶然であるが、私は似た経験をしたことを思い出した。それがオーストラリアの横断である。西に沈む夕日を見た後、東の海から昇る朝日を拝むために、横断の旅を行った。すべては身一つの、ヒッチハイク旅である。街と街の間には、広大な砂漠が広がる。そこをつきぬけて、太陽を目指したのである。東から西ではなく、西から東を選んだのは、根源的に古代人と同じように、太陽をもとめていたのだ。旅の終わりが、夕日では寂しい。どうせならビッグオーシャンから昇る雄々しい太陽をみて旅を終えたいと思ったのだ。
偶然か、日本の縦断も東南アジアのバックパッカーも、西から東に進んだ。九州からスタートして北海道までヒッチハイクをした。タイ→カンボジア→ベトナム→ラオスと西から東に向かった。この2つの旅の目的は太陽ではなかったが、西から東にすすむことのほうが自然であると、どこか言葉にならない感覚としてあったように思う。
オーストラリア横断をした後、私は鬱になっている。当時の私は、生きることを問いつづけ、東の海から昇る太陽を見れば、人生の何かが変わると信じていた。太陽は、かつてないほど美しかった。しかし、それで終わりだった。人生には何も起こらなかった。当時の私はそうして、”生きること自体”に絶望した。人生の”何か”に対して、絶望したわけではない。ただ、生きることそのものの空虚さに耐えきれなくなったのである。帰国後、旅の疲労と、絶望の虚無に潰され、計2年間の引きこもり鬱となっている。
昨日、古の日本人に思いを馳せた。彼らが太陽を追い求めつづけ、日本にたどりついたとき、どのように感じただろうか想像してみたのである。追っても追っても、近づくことができず、遠くから昇りつづける太陽に、彼らは絶望しただろうか。いや、きっとそんなことはない。どれだけ東に進んでも、永遠にたどりつくことのないその太陽に、宇宙や永遠や憧れを感じたのではないか。人間の足では、決してたどりつくことのできない境地に、ますます太陽の神秘を深めたのだと、私は思うのである。
オーストラリアの旅を終え、生きること自体に絶望した私には、この話をしてやりたかったと思うのである。現代人は物質的に生きすぎている。しかし、生きることは物質ではない。旅を終えたとき、物質的になりすぎれば、ビッグオーシャンから昇る太陽を見て、その景色で終わりである。しかし、断じて人間はそうではない。物質とならないところで、憧れというものは永遠に伸び続けるのである。それは、古の日本人が、旅の果ての地で、太陽をみつめる眼差しと同じものである。その眼差しをもって、今日を生きなければ、人間の生き方はできないのである。旅の果てにたどり着いたときにこそ、自己存在を永遠に結びつけることである。そして、夢は物質化するまで終わることはなく、どこまでもどこまでも伸び続けるのである。だからこそ、人間の存在の本質は、物質ではなく、とぎれることのない光なのである。どこまでもどこまでも、宇宙の憧れに向かって伸び続けるのである。
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