いつまでも心に勇気を与え続けてくれるのは、苦労した旅の記憶だ。金はなくても、足りない分は根性と気概で補った。そうして絞り出された根性や気概は、記憶に青春の味を与え、結果として自己を永遠に結びつける働きをした。
心に活力を与え続けてくれるのもそうである。いつの日か、目が飛び出るような金額の”スクール”に参加したこともあったが、本当に底から自己救済したのは、古本屋で数百円で売っているような小説や古典だった。数百年の時を超えて雄たけびをあげつづける魂こそが、自己を現世から救済する。
心に勇気を与えてくれるものも、活力を与えてくれるものも、金がかからないものだった。
ほんとうにほんとうに重要なのは、対象の内に永遠を見つけられるかどうかの一点だけであると思う。こう思うのは、私が虚無の苦しみを何よりも怖れている人間だからであることを補足しておく。豪華で華やかで幸せそうになっても、心の深くを覗いてみれば、自己はずっと絶望の地に足をつけたまま、天上から光が降り注いでくることを祈っているような状態は、何よりも苦しいのだ。
私は人間は、永遠と結びつきさえすれば、どんなに苦しい状況に置かれても、希望を持ち続けて生きることができる存在だと信じる。災害で家にあるすべてのものを手放さなくてはならなくなっても、大切な人の遺品だけは必ず持っていく。これは、遺品が生活の役に立つとか立たないとかそういう問題ではなく、魂の問題として、希望をもつためにそれを必要とする。
森探しも終盤を迎えている。色んな山林を見てきたけれど、やっぱり最後の決め手となるのは、そこに永遠を見つけられるかという一点になりそうだ。間違っても、楽とか便利とか安心とか安全とかで判断して、心の深くで自分を静かに絶望させるようなことだけは避けたい。
昨日は、ある不動産会社の社長の言葉が、一日中胸に響いていた。
「ここは野生です!安心とか平等とか安全という言葉の好きな人はこの物件を問い合わせしないでください。何からも守られていませんが動物も小鳥も人も幸せそうに生きています。」
ここまで言う人はこの一年で初めてだった。どうやらこの社長は、30代で起業するまでは旅をして、空海や中村天風先生、吉田松陰に心酔している方のようである。どうせ買うなら、こういう方から買わせていただきたいと思うものだ。
今日この山林を見学しにいく。がっかりしたくないから、あまり期待はしない。でも昨晩は興奮の中に眠るほど、今日見に行くことが楽しみで仕方がなかった。どうなるかは分からないけれど、迷ったらとりあえず、永遠のあるほうに行けば間違いはないと思うのだ。
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