生活が女だとすれば、これ以上窶れさせてなるものか。[966/1000]

静寂のときを見計らい、神は人間に語りかける。飢えるときを待ち望み、魂は発露する。神を持たぬ者、魂を蔑ろにする者は、静寂を怖れ、空腹を忌み嫌う。何の値打ちもない喧噪に身を窶し、何の為にもならない物体を胃袋に放り込む。耳は品のない雑音に埋め尽くされ、腎臓は毒物の処理に昼夜追われる。生活が女だとすれば、これ以上窶れさせてなるものか。男ならば、ピチピチして若々しい女を抱きにいくのが本望だろう。

 

現世において自己が限りなく低くなることは、必ずしも修行僧のようなストイックさを意味することではない。過度な不足は困窮を生む。穴の開いたズボンはそのままではいけないが、縫合すれば何の恥でもないのだと、乃木将軍が昭和天皇に教えたように、極端な困窮状態に自己を貶めることは、かえって現世的な惨めさを増してしまう。物をこまめに手入れして、長く大切に使うことの物質的干渉は、むしろ物質から離れ、自己から離れる行為である。

私もまた、物を増やすより減らしたほうがいいと信じてきたが、物質の増減を推し量るより、憧れに強く共感し、そうなりたいと願う力のほうがずっと真なるものであったと感ずる。朝から晩まで憧れを絶やすことなく、いかなるときも重力に屈するまいとする信念があれば、多かろう少なかろう、現世の物量など取るに足らぬ問題である。

 

2025.2.11