科学は、この世を創造した神の御業を探求したいという、信仰から生まれた学問である。信仰心が非現象界に存在する力を現象界に下ろし、非物質を物質とし、日常で五感をつかって触れられる手段を得た。信仰心がない人間にとって、科学は便利な道具に過ぎない。だが、今ではマッチ一本で点けられる火すらも、元をたどれば神の御業の顕現であったということだ。
赤く揺らめく炎を見て、美しいと感じることだろう。空を自由に羽ばたく小鳥を見て、無垢な存在だと感じるだろう。温かい朝陽が東から堂々と姿を現し、黄昏にゆっくりと沈んでいく。神が創造したこの素朴な世界に、人は幾たび涙を流したことだろう。
科学は生活を豊かにする。だが、生活の豊かさを享受することにとどまらず、宇宙の神秘に感動していたいと願うのだ。科学を妄信するほど非科学的な態度となりうる。だが、非科学に憧れるほど人は科学的となる。弁えがあれば傲慢に世界を破壊することも、無知に自傷することもずっと減るだろうに。神の創造した世界の神秘と、美しさを信じることを、科学を愛する動機としたいのだ。そのためならば、便利で快適な暮らしはちっとも取るに足らぬ。風に揺れる木々や、小川のせせらぎ、鳥のさえずりや、獣たちの鳴き声、そのすべてが”神の力”である。神の力が漲る森の生活を、私は心から愛しているのである。
2025.1.2