自分を信じる以上に、自分以上の存在を固く信じるから、この身を力に委ねることができるのだ。[864/1000]

人間が無力に敗北した結果、自殺に及ぶというのなら、おれたちは何としても力の道を歩まねばならぬ。だが、信仰なくしてこの世で力を得られるほど、無力も貧弱ではない。ゆえに、信仰を失った今日には、無気力が蔓延る。自分を信じる以上に、自分以上の存在を固く信じるから、この身を力に委ねることができるのだ。

なぜ自殺がいかんのか。無力はどうして生まれるか。おれたちの存在が力であるかぎり、無力とは存在のアンチテーゼである。自己存在を否定するとき、同時に両親を否定する。両親を否定し、ご先祖様を否定し、ひいては国や自然、宇宙の誕生、神の意志を否定する。それが直感的に人間のあるべき姿でないと信じるから、おれたちは何としても自殺を認めぬ。だが、社会が無力思想に覆われれば、宇宙が収縮し消滅するように、なぜ自殺はいけないのか?などという悲しき問いが生まれるようになる。

力は善で、無気力は悪だ。宇宙が拡がりつづけるかぎり、この世に生を授かったおれたちは、力のために互いを鼓舞し、戦いつづけなければならぬ。だれもが、無力感に襲われる。悪意に感情を搔きまわされ、屈服しそうにもなる。だが、負けてはならぬ。ほんのひと踏ん張りの気概によって、生み出される力が自己存在を全面的に肯定していくのだ。自己存在だけではない。両親やご先祖様、祖国、自然や宇宙の誕生、神の意志を肯定するのである。

それが人間的に真摯な生き方であり、価値ある生き方だと信じるのである。野良犬みたいなボロボロな生き方だろうと、その価値は揺るがない。

 

2023.10.31