捨て身だ。どうしようもなくなれば、この身一つを雪山に差し出せばいい。つめたい雪どけ水が、身体に染みついた塵垢を流してくれる。やがて、気まぐれな風が戯れにやってきて、朗らかな太陽が濡れた身体を温めてくれる。そうして何度も愛情というものを体験しただろう。道ばたの雑草や、石ころ同然に、おれたちは自然に晒されていたほうが、強く、たくましくなっていくのだ。
いいか。悪意に屈している場合ではないぞ。悪意に屈しないことが、人間存在を全面的に信じるということであり、個人でも可能な世界平和の道である。世界平和とは、またずいぶん大きく出た。だが、それが無力の結果であるはずがない。惑星同士が衝突するように、力と力はぶつかる宿命にあるかもしれぬ。だが、砕け散った星々はやがて再集結し、一つの星になるやもしれぬのだ。
無力が存在を否定するなら、何としてでも力を信仰しよう。できるかできぬかは知らぬ。うまくいくか失敗するかもしらぬ。だが、どちらにせよ、身体は死ぬまで直進しつづけていくのだ。衝突し、砕け散るまで、宇宙を突き進んでいく星々のように。
2024.10.30