一日一食しか食わぬ。それでいて毎日が肉体労働だ。朝から夕まで雨に打たれ、寒さに立ち向かわなければならぬというところで、身体は環境に適応するために、生命のエキスを絞り出す。細胞を若返らせるオートファジーが、空腹によって引き起こされるのと同じように、野性とも知性ともなろう神秘的なエキスが非科学的な活力を与える。生命のエキスを飲み干すと、散財のさきに転がる幸福や健康が、病の温床となっていることに気がつく。
贅を尽くし、ご馳走をたらふく食ったというのに鬱っ気が帯び始める。ちょうど、102歳の長寿を全うした15世紀の長老、ルイジ・コルナロ氏の話を思い出す。一日一食で生きる氏を心配したまわりの者の進言で、氏は試しに食事の量を増やしてみると、途端に体調を崩してしまう。
米は力。食事は力。腹が減っては仕事もできぬが、飽食の今日は、気を張らねば安逸に流れ、過分に陥る。身体を横たえれば一時的な疲労は回復するが、度が過ぎれば、むしろ身体が怠く弱くなるのと同じように。おれは幸福の存在を認めるが、生命を蔑ろにする群集的な欲望には、冷めた軽蔑の念しか起こらない。
冬が慰安の季節なら、俺には冬が怖いのだ、とランボオは言う。生命が悲しみに沈むなか、俺はもういっそ凍え死にたい思いだ。
2024.10.29