病気の運命に抗ってきたのが人間であった[825/1000]

右耳を下にして寝ると、起きたときに右耳が聞えなくなる。しばらく時間が経つと、徐々に回復し聞こえるようになるのだが、もしかすると突発性難聴の可能性があることが分かり、耳鼻科にかかることにした。突発性難聴は、時間が経つにつれ改善が難しくなるようで、最悪、後遺症が残ったり、聴力が失われることもあるという。はじめて右耳に異変をおぼえてから、既に三日経っていたので、色々と最悪の場合を案じた。

 

右耳が聞えなくなると、どう困るだろう。日常生活に支障は出るだろうか。狩猟免許は剥奪される。これから猟師になろうとしているのに、これは困った。だが、少しくらい右耳が聞えなくとも、信念があればどうとでもなる気もする。ベートヴェンは難聴となり、殆ど耳が聞こえなくなったが偉大な曲をつくりつづけた。音楽家にとって聴力ほど命に代えがたい器官はないように思える。それを思えば、仮に私のような凡人が聴力を失うことになっても、何でもないことのような気がした。だが、毎日聴いているベートヴェンが聴けなくなることは、やはり悲しい。

ジョン・ミルトンも、目が見えなくなっていた中、口述筆記で「失楽園」を書いたという。歴史のなかには、才能に恵まれ、価値ある人間が、運命によって虐げられてきた例は少なくない。逆にいえば、そうした運命に抗ってきたのが人間であった。

 

彼らを思うと、難聴を受けて立とうという気概が生まれてきた。だが、誠に拍子抜けしてしまう結果となったが、耳鼻科の先生が言うには、大量の耳垢が固まって、詰まっていただけだと言う。「そんなはずはない。耳垢が詰まるくらいで、耳が聞こえなくなるものか。突発性難聴ではないのか。」と聞き返すと、先生のみならず、看護師さんにも笑われてしまった。普段、私には耳掃除をする習慣がないこともあって、出てきた耳垢の量は、かなりのものだったという。右耳を下にすると、圧がかかって、耳が塞がってしまったにちがいないと言うのである。

 

私はこの結果に、いまだ懐疑的である。今晩、さっそく、右耳を下にして寝て、明朝何もなければ、すべては杞憂に終わることとなるが、やはり右耳が聞えなくなれば、何かしらあるのかもしれない。もちろん、杞憂に終わるに越したことはない。そう強く願う。こたびの一件で、病気と運命について考えるよき機会になった。病が近くに感ずれば、健康の有難さは骨身に染みる。どうか、これを読んでる我が友も、健康でやっていてくれよ。

 

2024.9.22

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