おれたちは力の存在だ。力を信仰し、力に導かれ、力そのものとして、生命を燃焼させていく。この世の不条理に、力強くぶつかっていく。難しいことは何も考えなくていい。なすべきことは、たったこれだけなのだ。
しかし、これが難しく思えるときがある。大きな不条理を目の当たりにすると、己の力を信じられなくなる。絶望、幻滅し、力の信仰を失い、無力な存在となる。自殺はいつも無力から生じるものではないのか。必ずしも命を絶つことだけが自殺ではない。疲弊し、ストレスがたまると、身体に悪いものを食べ、自分を虐めるようになる。何の役にも立たないことに時間と金を浪費し、虚無の谷底へ身投げしている。
これは個人の単位でなく、国や人類に対しても言えることである。核爆弾のような無力を母胎とした大きな力ほど、人類を滅ぼすものはないし、クロルピクリンのような農薬(劇薬)が日常的に使われているのも、伝統と知恵にしたがって、地道に耕作する力を放棄した結果である。無力に陥った政治は腐敗し、他国に媚びを売るようになるし、その結果として生じる政策はどれも国を貶めている。
力は徐々に失われていく。国の始まりから、国の終わりまで。人間の始まりから、人間の終わりまで。もう終わりのところまできていると言う者もある。だが、何をどう考えても、おれたちはこれに抗うことしかできない。この世の、あらゆる無力なものに対し、絶対に負けまいと強くありつづけるしかない。
2024.9.20
コメントを残す