吸うは生で、吐くが死。[785/1000]

ヨーロッパ近代理念における愛国心も、すべてアガペーに源泉を持っているといってよい。しかし日本では極端にいうと国を愛するということはないのである。女を愛するということはないのである。日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながっている。もし女あるいは若衆に対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変わりはない。

三島由紀夫「葉隠入門」

偶然目にした、民謡を歌う女性がとても美しく、こういう死に方もあるのだなと感動した。毎朝毎夕、改めては死に改めては死ぬ。瞬間、瞬間のうちに死んでは誕生する女性は、蕾が開いたばかりの麗しき花でありながら、次の瞬間には、儚くも枯れ落ちた。それが一層、彼女の美しさを際立だせた。

畑の仕事をはじめてからというもの、毎朝、死ぬことから一日がはじまる。朝の3時半はまだ闇が深い。もう少し寝ていたいと思うところを、一度死ぬことで、途端に楽に動けるようになる。最近、呼吸を合わせるようになった。吸うは生で、吐くが死。瞬間、瞬間、息を吐くとき、行動は死へと駆り立てられる。武士が切腹するときは、息を吸うのではなく、息を吐いていたに違いない。息を吸って高ぶった緊張を、吐くと同時に地上に放出させる。エネルギーの大放出が地上に具現化した現象を「生」というのだろう。ゆえに、瞬間、瞬間の”吐く”の呼吸に忠実に従うなら、行動は潔く直線的となる。凝り固まった生への執着は、そんな行動によってのみ断ち切られる。決意と覚悟。さあやるぞ。

 

2024.8.13

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